(55)特性と状態と調和

自分のペースとは関係なく、周りの人や世の中は動いている。
それは、そういうものだ。
自分のなかでも、いろいろな要素が絡まって、
自分のことが見えなくなったり、葛藤を感じたりすることがある。

 

どうやって、自分の中を調和させるか。
どうやって、自分と周りを調和させるか。

 

障害者雇用の本を読んでいて、「特性」と「状態」に注目するということが書いてあった。
これは、いろいろなことに当てはまるのだろうと思う。
一貫した傾向として、その人は、その場所は、どういう特性を持っているのだろうか。それは、どんな影響をもたらすのだろうか。
変動するバリエーションのひとつとして、その人は、その場所は、いまどんな状態にあるのだろうか。どのようなことがあってその状態になり、その状態はどんな特徴を持っているのか。
どちらかだけ見ていても、あまりうまくいかない。
一時を見て万事だと思いすぎるのもよくないし、いまこうなっていることを軽視するのもよくない。

 

 

(54)からっぽ

去年今のアパートに引っ越してから、5箱くらい段ボールが残っていたのを、
家のそとの目につかない場所に移動した。
中身はほとんど書類で、整理しようと思っていたもの。

 

休日出勤して家に帰ったら、部屋の荷物がずいぶんと減っていた。

 

からっぽなものが増えていくたび、あれが入り込んでくる。

なにかで埋めないと、心が保たないな。

 

予想はしていたけど、前向きになろうと思っても、なれたと思っても、
こういうことで、容易にぐらついてしまう。

 

叶えたい未来があるのなら、いまその時思っていることを、そのまま吐き出すことが、良い手とは限らない。思ったままに行動することが良い手とは限らない。
ストレスで胃がクラムチャウダーみたいになりそうだけど、なんとか、なんとか、生き延びる道を探ろう。

(53)メルティング坩堝

はじめて、家庭裁判所に入ってみたり、その隣の弁護士会館に入ったりした。
ぼくの人生はいま大変なことになっている。
これが大変じゃないなら、なにが大変なのだという感じ。
(上には上がいるのだろうが)

 

部屋の隅に1年近く積みあがっていた段ボールを開封したら、
行方不明になって買い直した本と、今の自分の関心にタイムリーな本が出てきた。

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

 

 こんなところにあったのか。

仕事をしてても、家族をしてても、その他生活をしてても、大変なことはある。
逃げたくなることもあってもいい。
怒って相手をメタメタに攻撃したくなることがあってもいい。
迷惑がられながら近くの人をつかまえて愚痴りたくなることがあってもいい。
すっと蓋をして見なかったことにして、人に押し付けたくなることがあってもいい。

ただ、起こってしまったことは、変えられない。
そして、起こってしまったことを受けて、これからできることは、意外と選択肢がある。
選択肢は、やがて収束し、ひとつの現実になる。
なにも意識して行動しなくても収束するし、あるゴールを目指してがむしゃらに動いた結果、叶うことも叶わないこともある。

 

私は配られたカードで、どんなゲームをしたいだろうか。
どんなビジョンにたどり着きたいだろうか。
たぶんそのためには、少なくてもある程度、人によってはがっつりと、自分以外の人について知る必要がある。
いろんな人が大なり小なり関わって、私の人生はできている。

 

風呂に入りながら、乙武さんと小室さんと杉山さんの鼎談動画を見ながら、
障害者雇用が経営改善に役立つという本を読んでいた。

◯あなたが問題だと思っていることが、あまり人に知られていないとしたら、それを共有することにはとても意味がある。そのとき、数字のエビデンスを添えることが重要。

◯共感できなくても、理解ができれば、ダイバーシティはだいぶ広がるんじゃないか。

◯障害者を雇用することの意味は、社会貢献だけでなく、人材育成のノウハウ蓄積、業務フローの見直し、社員の仕事に対する意識の改善、適性にあったマッチングの推進などを通じて、経営をよくするかもしれない。

◯24時間という自分の人生をどう割り振るか。仕事も大事だけど、それ以外のものにも時間を使いたい。

 

11月のパターン・ランゲージのイベントに至るまで、ぐるぐるといろいろなことが頭をめぐっている。
24時間前は相当悪かった精神状態も、昨日いろんな人と話をして、今ではだいぶ落ち着いている。
(でも、まったく安心はできない)
状態変化が激しいときは、更新頻度を上げて、乖離があまり大きくならないようにしたい。

(52)アクセルとブレーキ

●切実な問題のために、時間やお金や手間を惜しまずに投入する。
●心のバランスを保つために、弱音を吐いたり、気晴らしを混ぜ込む。
●倒れないように、食事、睡眠、入浴などの生活をやろうとする。
●プライドが邪魔をしても、人に相談し、頼るということをする。
●やけになってやってしまいそうなことを、制止する。
●あきらめる。
●あきらめない。

 

(51)ほんのちょっとを、つみあげる

ネガティブなことを書くと、ちょっとそこから距離を取れることがある。
言葉にならずにぐるぐるとしているものを、ブログの形で言語化してみる。
すると、できずにいた些細なことがすいっとできたりする。
昨日は久しぶりに野菜炒めを作れた。
わたしのささやかなコーピングが、ここにある。

 

人間ドックを初めて受けて、ピロリ菌が多いという話だったので、
こんなファンシーな名前の、自覚症状がないけど怖そうなやつを治療しに、
病院に行ったり薬を飲んだりお酒を控えたりしている。

 

昨晩は2か月間で2度目の夢を見た。
だいたい夜中に一度は目を覚ますので、起きて明るいと少し驚く。
起きて10分でもう中身は忘れてしまったが、
現実の問題とは関係のない、お気楽なものだった気がする。
そういう体験を、誰かが与えてくれたものだと思って、感謝してみる。

 

人との関わりかたを、よりよい方向に変えていけるようになりたい。
お互い消耗するようなやりとりを繰り返すのは、なるべく減らしていきたい。
自分のほうが無自覚で、一方的に搾取してしまっているような場合に
それに気づくのは難しいだろうが、そういったものも見つけていきたい。
人生というキャンバスは、やりたいことを置きさえすればいくらでも挑戦できる。

(50)夜と昼

昨日の台風は、朝に乗った電車がものすごく混んでたくらいで、
あとは出勤した職場に人が少なかったくらいで、
自分にとってはあまり影響がなかった。
ツイッターでは出勤を強制する企業への批判が盛り上がっていた。

 

先週末、これまでの続きでちょっとした事件があって、
そのあと24時間くらい家でぼうっとしていて、日をまたいで、
そのあと4時間くらい親と話して、
ちょっと食べてちょっと寝て、家でちょっと仕事をして、
そしてまた会社に行く平日が始まっている。

 

生活をしっかりやろうと、一時期は米を炊いたり、していたのだが、

それも気づいたらいつぶりだろうかみたいになってしまっている。
足の速い鶏肉に本当に申し訳ない。
実家からタッパーで差し入れをもらうのだが、腐らせてしまわないかがまず気になってしまう。

 

周りに人がいれば、ご飯を食べることなどそれなりにできるが、
人がいないところだと、そういうものが失せてしまう。
思っていたよりも、わたしの生活は社会的にできていたのか。

 

風呂に入るのは、だいたい欠かさずやっている。
たぶんわたしにとって、食事よりは根源的なものなのだろう。

 

寝て起きると、暗かったり、明るかったりする。
寒かったり、暑かったりする。
体の節々は痛いので、まずはそこを伸ばすところから動き出す。
のそのそと動き出す。

 

(49)つらい。

最近生きていて、「つらい。」と思う瞬間が多い。
周りに人がいないところで、つぶやいている。

 

自分のつらさを、他人をまじえて取り扱うのはけっこう難しい。
一般的にも難しさがあると思うが、私の場合は特に苦手だ。
つらさを人に話すのは、それだけでも痛みが伴うし、
受け取られ方では、さらに上乗せの痛みが発生する。
ただでさえつらいところに、開示の痛みと受け取られない痛みが上乗せされたら、
それだけでもう、瀕死状態だ。
だから廊下でちょっと足を止め、下を向いてつぶやくんだ。
ほとんど人のこないブログで、誰にともなくつぶやくんだ。

 

客観的には自分より遥かに壮絶な状況で、弱音を吐かずに頑張っている人がいる。
それは知っている。詳しくはそんなに知らないが、なんとなくは知っている。
人よりつらいというつもりはない。ただ私はつらいんだ。
このつらさが自分の原因や責任によるものが少なからず含まれていることも知っている。
対処できるほど深く知ってはいないが、なんとなくは知っている。
自分が不幸で可哀そうだとは思っていない。誰か助けてと思わなくはないが、
なぐさめてもらいたいわけではない。ただ私はつらいんだ。

つらいと嘆くことが問題の解決に直接的につながらないことをも知っている。
ここで止まっていては、この状態は悪化していくことは想像に難くない。
対処はするつもりだ。というかし始めているつもりだ。だけど私はつらいんだ。

世間一般には、ある行為がいろいろな意味と結びついている。
Aという行為をするということは、Bという意図があると。
そういうことももちろんあるだろうが、一方でそうではないこともある。

 

やるべきことはなんとなく見えている。
だけど自己効力感がついてこない。エネルギーもスキルも足りる気がしない。
ゴールイメージも見えていない。正直うまくやれる気がしない。
ペラッペラになりながら、わたしにしては珍しく、「べき」で動いている。
でも、「べき」で動いていると消耗が激しすぎるので、落とし込んで、
「したい」に回路を変換しなければならない。
私の中に埋もれている、小さな光のような「したい」を、育てなければならない。
もとい、育てたい。

 

傷ついた分だけ、人にやさしくできるようになりたい。
経験を学びに変えたいが。
なかなかうまくはいかない。
つらいことの中身は、ちょっと生々しくて書けなかった。