(294)はるさめ

今年の頭のほうに、マイノリティ・ダイバーシティについての話を聞いたが、最近は「マイノリティ・デザイン」という本が話題になっているらしい(この本の出版社であるライツ社も、一部で話題になっているらしい。詳しくは知らないが)。オンライン市役所のクローズドのイベントで、著者の澤田さんを招いての座談会みたいなのをやっていて、平日だったので案の定仕事で見られなかったのだが、アーカイブのありかを教えていただいて、少し遅れて視聴することができた。いろいろと思うところはあったのだが、本を読まずに言うのはあまりよくないなと思い、いったん保留することにする。リフレーミングと取組の話をしていて、私は持続性のことが気になったので、本に書いてあるといいなと思った。

年度初めての、子とすごす日。なにやかにやとイベントが続いたあとで、環境も変わって体調もすこし心配だったので、あまり活動を詰め込まないよう、初めてではない近場の公園や、家の中で絵本を読んだりしてすごす。そうすると、なんか地味というか、満足度が低いのではないかということが気になったりする。これも、いろいろと情報収集して、下準備をしつつ、当日は子をよく見て柔軟に動き、見えたものから背景に何があるのかということに想像をめぐらす、それを繰り返す中で育っていく添え木になる、という、基本的なことを突き詰めていく営みなのだと思っている。昔どこかで出会ってSNSでつながっているのーどみたかひろさんが、自分と似たような状況であると知り、勝手に親近感を抱く。

半年前に引っ越してきてから、2か月に1度、風呂の大掃除をしていたのが、今年に入ってからはやれずにいたものを、ついにやることができた。こうやって、生活のほうも、新陳代謝していこう。

(293)まちあるき集団

知人が読んでいるという話を聞いて、池上彰がマルクスの「資本論」について解説している文庫本を読んでいる。「資本主義」という言葉がキーワードになりつつあるのだけれど、まったく意味がわからない中、この本とか、リディラバジャーナルとかChoose Life Projectとかを開いて、教養を身に付けようとしている。

よく晴れた土曜日に、散歩しながらのお花見のお誘いをいただき、桜の花びらが舞い散り続ける中、川ぞいや公園をてくてく歩き、なんてことない話をする。その中に、いろんなものを拾って、ちょっとしたきっかけからとてもたくさんの話を広げる人がいて、ちょうど最近本で読んだばかりの、マルクス資本論の話が出てきて、お、と思う。その人は、資本家に占有されない公共というものに着目していて、私が読んでいる本にはそんな話は出てきていないので、これから出てくるのか、それとも出てこないのか、出てこないとしたら、池上彰が端折ったのか、はたまたマルクスもそんなことは書いていなくて、公共の部分はその人のつけたしだったのか、今後明らかになるのが楽しみ。

ひじかけのついたごっつい椅子が気に入らなくて、替わりに4年間使い続けたパイプ椅子が年度末のある日にぽっきり足が折れてしまった。修理してもらうとしたら、鉄工所?とかになるのか?と思いつつ、ググった様子ではあまり分はよくなさそう。3000円はしていないやつなので、十分元は取ったと思うが、一方で愛着が湧いている。代替品は買うとして、見かけたリサイクルショップを物色するが、時間をかけても直してもらえるところにつながりたい。

花見は花見だけが目的ではなくて、演劇の稽古をするという目的も兼ねていたのであった。だんだんと肌寒くなり、お酒も回り、歩き疲れて意識がだんだん遠のく中、約半年ぶりに台本を手に取って、掛け合いを何度かやってみる。ムロツヨシのように、という演出で、ムロツヨシをカタカナで書くことは知っているが、それ以外の情報がまったくない。俳優なんだろうか。パーマ頭とくりくりの目をどっかで見たなと思ったら、りそな銀行の人か、と翌日気づく。

(292)ワーキング定点観測

昨日が割と表面的なことをやっていた感じだったのだが、今日は比較的中身を掘り下げたような日。自分の頭の中である程度整理して形にしたものを上司に説明して、ゴリゴリとすり合わせを行う。詰めの甘いところが容赦なくそぎ落とされ、メリハリがついていく。細かい文言は次のステップだけど、ここまで来ると、それなりに外に話せるような気がしてくる。

作業が直接前に進むものではないが、情報連携を密にしようと、打ち合わせの機会をいろいろと提案してみる。上司への所管事項説明、課内他係への所管事項説明、下部組織との顔合わせや補足説明、国民への周知ツールであるホームページの更新など。

私はそれなりに情報が集まらないと、あまり本質を捉えた判断ができない認知スタイルを持っている。もっとわずかな情報から、とりあえず重要なポイントを洞察することができる人はいて、単純にすごいなと思う。そういう人からすると、私の情報の集め方は過剰に見えるんだろう。そこにはギャップがあって、最終的なアウトプットをどこに合わせるかは、スペクトラムの中にある。細かい話を聞いて、納得はするけれど、それをそのまま書くのがいいとは限らない。

そして、そもそも自分が確認するかどうかも選択肢の中にある。チームとして、どのように組織づくりをし、もろもろのオーダーに対応していくかということを、戦略的にやっていきたいと思っている。

(291)ヒトゴトですから

新年度。新入社員は自宅で研修。それでも新しく一緒に仕事をすることになった人たちと挨拶をしたりしつつ、積み残しの案件について、督促を受けつつわたわたと対応する。課内の人と早いうちに一度でもいいから会話をしたいな、と思っている。新体制について、やってみたいことを言葉にしつつ、当然ほかの人とはギャップがあるのでこれからすり合わせていきたいと思う。

明け方に、あまり直接的な関わりはなかったけれど、なんとなく気になっていた鈴木悠平さんという方について、所属していた理事解任のお知らせやら、ご本人の応答文やらを見て、へー、えー、となる。それと別に、職場での人事異動のなにやかにやで、へー、えー、となることがある。末端に届く情報は断片的で、時間差が生じる。そういうものだ。なぜそのようになったのだろうと疑問は生じるが、手がかりは少ない。そういう、圧倒的なハテナを抱えながら、私たちは生きている。ハテナが生じないよりは、ハテナを探りたいと思わないよりは、今の私はそれを疑問に思い、自分に許される範囲で探ることをしたいと思う自分を大切にしたいと思う。

(290)片づけ

年度末。今日は朝から仕事。きっちり片づけていくというのとはほど遠く、いろいろなものが来年度にはみ出ようとしている。まったく実効性のない「年度末までに片づける」が跋扈してしまっていて、本当に何に注力すべきかがあいまいになってしまっている気がする。これはよくない。本当によくない。痛みをかみつぶして、終わりに向けて進めよう。

数日間だけど、終電まで仕事して、朝もテレワークしたりしていたので、疲労のピークが来てしまい、頭を使わない書類の整理をする。自分にとって使いやすい書類の置き場というのは、仕事のことではあるけれど非常に個人的なことで、でも傍から見ると書類がはみ出しているとかいうことが目につくし、片づけている途中に却って散らかっているように見えたりするので、人がいるところでやるものではないのだと痛感した。夜遅くにやるか、土日にやるのがいい。やるべきか、やれるかはおいておいて。

職場を片づけた流れか知らないが、家のリビングももそもそと片づけてみる。じっと見て、ひとつひとつをあるべきところに移していくと、それなりにすっきりする。

(289)専門家に助けてもらうとはどういうことか

年度末2日目。今日は自分の用事。

ユングという人が言った「人生の正午」とは50歳を指すらしくて、それまでにはまだしばらくあると思うが、折り返し地点的な感覚はなんだか湧いてきている。そう思ったとき、そして、生活のあれこれがちょっとひと段落したこのとき、今後もうん十年生きていくのだとしたとき、自分ことをちゃんと知っておくためにやれることはやっておいたほうがいいんじゃないかと思い、幾度となく考えては踏み出せずにいたところについに行くことができた。これは終わりでなくて始まりなのだということはわかる。お金もそれなりにかかるので、あまり手ごたえを感じられなくて、「こんなものにお金を使うのはもったいない!」と思うときもきっと来てしまうだろう。私はなんせ、人とつながるのが苦手だし、人に助けてもらうのがへたくそだ。それでも、今回のことでやれるだけのことはやりたいし、もしうまくいかなかったとしても、その経験は糧になり、次になにかをするときに背中を押してくれるのではないかと思う。

午後は仕事に向かう。そんで、遅くまで仕事をする。またひとり見送る。なんだろう、残念なきもち、よくやったというきもち、ありがとうなきもち、複雑にごちゃまぜな心境で、最後のすこしの時間、会話を交わし、そして別れる。

(288)絵本の世界は拡がって

年度末の最後の週のはじまり。

仕事が山のように溜まっていて溺れそうになるのだが、まあ、それはさておき、子のことを見てくれるところに初めて訪問し、親の認識や心配になっていることを伝える。

子と遊ぼうと持っていったすごろくは不発だったけど、すごろくが付録になっていた絵本、絵本ていうか、手紙がいっぱい入っている絵本「こんにちは また おてがみです」が、既存の絵本の登場人物をスターシステムのごとく起用しているということに、はじめて気が付いた。

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付録のすごろくも、それぞれのマスが、既存の絵本の作品を表している。これって、元の作品を読んだことがある人には、その世界をさらに掘り下げる(2次創作みたいな)楽しさがあるし、読んだことがない人には、その作品を知って読もうと思うきっかけになるかもしれない。子がときどき手紙を書くので、手紙の本は好きかなというくらいのきもちで図書館から借りたのだが、思った以上に面白かった。しかも、タイトルに「また」がついているのは続編のサインということも言われて気づいた。「こんにちは おてがみです」もあるのであった。

子が絵本を読むのが好きなので、毎週会うたびに、図書館から5冊くらい絵本を借りて持っていくようにしている。今は、作者名をキーワードにして、前に子が借りた絵本と同じ作者の絵本で、在架資料がある(すぐに借りられる)ものに絞って探している。同じ作者の著作を見ていくことは、ただ1冊の本として出合ったのと比べ、その人の世界の拡がりを見ているようで、とても楽しい。

準備していった遊びは、ほかにマグネットも不発だったけど、近くにあった公園は先日の飛鳥山公園以上に、遊具がちょっとした遊園地みたいですごかった。春休みだから、小学生の子もいっぱいいて、ソフトクリームなんかも売っていた。私は仕事に向かい、そんで、遅くまで仕事をする。ひとり見送る。