飛ぶ世界

先週はお休みをもらって、京都大阪鎌倉と、1日ずつ出かけていた。旅行に慣れてないのが丸わかりの強行スケジュール。計画性がないことはすごくよくわかったので、それをどうするのかが肝。ピーチャムを見に行けなかったのは残念。
1人で色々考えたり、人と色々話したりした。ここ数年の生活で、目の前に来るものに対応しながら、少し先を見ようとしたり、それ以外の直観的な判断に身を任せたりしているうちに、いつの間にかに積み上げられたものがのしかかっていて、気づくと身動きがとりづらくなっている。

というか、遠く先のことを想えない態勢が強まってきていることが、ものすごくまずいと思ってる。遠くのものを見るには限度があるのは仕方ないが、想えないのは根本的にまずい。
遠く先というか、自分のことも視野に含めた広い視点。鳥のまなざし。幸福に生きるためにはそれが必要だと僕は思っている。その視点を確保するのは簡単なことではなく、その理由のひとつは、それがない状態ではそれを目指すことを忘れやすいことだ。

それは色々なものの泉となる。自分がなにものであるかという感覚。自分は何を目指していて、どこに向かえばいいのか。なにを受け入れなければならないのか、ごまかさなければならないのか。周りにいる人は社会的にどのような立場にあり、どんなものを好み、自分とはどういう関係なのか。大切な人を大切にするにはどうすればいいか。集団や世界の性質と、付き合い方。まだらの地図から抜け出して、空白も許した全体図を描くこと。人間のプロになるということ。
仕事をする時に、そういう背景の上に立って仕事を行えたら絶対によいと思うのだけど、なぜかそういう傾向は薄れていってしまう。想いを巡らしにくいしくみになっている。その状況を解き明かし、打破する道を探すのだ。