( I'm looking for ) Locus of Scent

(もやもや)

さいころから目が悪かったことが影響してるのか、
というと、安直な気もするし、尤もな気もするが、
わたしはしっかりものを見ることをしないらしい。
目に映るものが断片にすぎないと諦めてしまうような
筋肉の力の入れ具合が癖になっている。

それは時に悪さをして、大切なものをむげにする。
だけどそれはもうわたしの一部みたいになっているので、
それをまるごとなくすことはおそらくできないし、
なによりわたしはそれがしたことの責任を負わねばならない。
そしてわたしはそれを通じて自分を、他人を、世界を感じている。

その悪さについて、もし押さえたいと思うならば、
上からレンズを装着するように、全体の出力を調整することはできる。
それは最近読んだ本でいうところの「治す」でなく「ごまかす」
ということなのだろう。

この本では「ごまかす」ということを「治す」「ひらき直る」と並び、
「向き合う」ことの方法のひとつとして、肯定的に書いてある。
治さなくてもいい。向き合うことが大事なんだと。
そして性格というものは、「ごまかして」いるうちに、本当に
「治ってしまう」こともある(そうでないこともある)とも。