鳥糸めんと

早めに職場を出て渋谷から地続きの宇田川の町を歩く歩き歩き歩く歩きながら喋る。葉っぱを買って歩いて、文具を買って歩いて、トイレを借りて歩いて、お茶を飲んでケーキを食べて、歩いて歩いて、家に帰ってくる。

町は、生きているパッチワークだ。

町は、僕たちの頭の中にある。
どこまでも続いているくせに、まるで区別されたなにがしかのように頭の中に居座っている。
そのくせ、どこまでも現実だ。
どんな奇妙な組み合わせも、並びも、ありうる。
宇田川の町は灯りが少なくて、お店の照明がとても映える。
歩くだけで、照り、翳り、とても動きがある。
まち。

きっとそのお店には、持って帰れるお菓子が売ってるんじゃないかと、持って帰りたいお菓子が置いてあるんじゃないかという、期待、を込めて。
そして期待、は見事に掬われる。
ついでに、少し前から欲しがっていた、コーヒーや紅茶に入れるための角型の砂糖も購入する。

なんて贅沢な時間。
わたしは自分を甘やかすことがとても上手だ。
人を甘やかすのはあんまり上手くない。

昼間、いつもの地下食堂に向かおうと乗った下りのエレベーターが1階に止まり、衝動的に降りて外に出て近所の公園に足を踏み入れる。
名前を知らない植物を。まじまじと眺める。
迷子の子どものお母さんを探すように、わたしが名前を知らないその木、その枝の名前がどこかに書いていやしないか探してみる。
公園の端っこにあるお店のテラスで、ガパオ、という食べものの大盛りを注文する。
とてもおいしい。
さくら、が咲くのはまだ少し先のようだと、今はうめ、がちょうど咲いているのだと、目の前の白い小さい花がそうなのだと知る。
売店でたまごぼうろの大袋を買う。倍ぐらいの値段がする。

小説を読んでいて、ふとした拍子に、今はどのあたりなのだろう、と思い、ほぼ反射的に腕を伸ばして本を遠ざけ、開いているページの、後ろ側の方の厚みを気にする。
なんでそんなことが気になったのか、すぐに忘れてしまう。

春のはるの悠野ハルの日。