イドム

ここ半月で、食べること、ということに対する見方がだいぶんと動いた。きっかけはいつものとおり、人との出会い。その印象が自分の中にとどまって、そのことについて当たり前のように考え続けるようになり、本を読んだり調べたり、自分の体を使って試したりし始めて、いくつか新しい気づきを得る。仮説や疑問も浮かぶ。今まで当たり前のようにとっぷり浸かっていた習慣を捨て去ることを思い、それを貫くことに伴ういくつかのことを思う。
できることなら、近いうちに別のことで頭がいっぱいになってしまっても、再びここに戻ってこれるようでありたい。わたしはこれを、もっと進めたい。食材の出身のこと、保管のこと、調理のこと。台所のこと、調理器具のこと。季節のこと旬のこと。体調のこと、風味のこと、栄養のこと、内臓のこと。そしていつの日か、誰かに料理を振る舞うこと。

「子どもの貧困」という、何年か前に出版された本を一読した。やっぱり、よくわからない。このよくわからなさを、わたしは引き摺り出して、まないたの上に載せて、徹底的にすり潰して分析する必要がある。


選挙のことについて、世の中ではもう結果がわかっているようなことをどうやら多くの人が思っているらしく、それに対してどうしようもないと思ってしまうこと、そう思うことが実際にそういう結果をもたらすであろうことを含め、気に入らない。でも、それはいささか考えが子どもっぽすぎるだろう。いくらだってやりようはあるのだ。