兆し

昨日の朝、「あ、春だ」と思った。
まだ雪の残る寒い空気の中に、やわらかいものを感じた。
それはその日わたしの感覚器とつながったものであって、それは実はもっと前から訪れていて、気づいていたひともいたのかもしれない。

去年買ったアイパッド・ミニが、すこぶるわたしごのみにカスタマイズされてきている。まるで産まれたばかりの子どもを溺愛する父親のように、勝手に盛り上がって何度もこの話をしてしまう。「いやー、あとはGoogle Keepのアプリがあればなあ」なんて不満を漏らしながら、確実にハマっている証拠。

去年から目に見えて動き始めた学ぶ場のこと、それらとの関わりとこれからのことをけっこうな頻度で考えている。じっくりと1人で考えることはどうしようもなく必要で、いまはそれが足りてなくて、でも手を動かしてみたり、人とそれについて話してみたりすることもすごく大切でうあることがわかってきている。具体的に、具体的にしていくんだ。

そして、そういったものとおそらくは関連しつつ、生活のいろいろなものが変わりつつあり、変わろうとしている。その動きのはやさにはちょっととまどうこともあるのだけど、そのとまどいとは比べ物にならないほど、楽しみに満ちている。
すべてはつながっていて、だからこそとぎれてしまうものも限りなくあり、だから、ありがとう、なのだ。