リハビリと言葉

それを身体的な意味で使う家族がいる。
それを精神的な意味で使う家族がいる。
わたしも、わたしなりの意味で、その言葉を使う。

言葉、というのは、ある場面においては、写像であって、
写像でしかなくて、感覚や、概念や、物体や、関係や、
さまざまなものの、曖昧なものから強烈なものから客観的なものまで、
の、写像として、ヒトから生まれ出てくる。

異なるヒト同士は、同じような言葉を共有して使うから、
便利で、面白くて、難しくなる。
わたし自身も、状況が変わると、あるいは時が経つと、
言葉の使い方が変わるところがある。

一方、言葉を起点にするような場面もある。
言葉からピボットするように、様々な概念の源泉となるもの。
それもまた、真実であって、言葉から概念が産まれ、概念から言葉が産まれる。

わたしは、言葉をわたしのものにするために、わたしの手足にするために、
少し手放してしまったものを取り戻すために、少し錆びてしまったものを再び磨くために、
少しの睡眠時間を差し出すことで、またこうしてブログを書くということをやってみて、
また、少しの時間、続けて走るということを2日間続けてやってみている。

リハビリテーション中なのです。