1年がおわりそう

ずっと欲しかった、Fifty Threeのスタイラスペンをプレゼントに貰う。
日本では買えないと思っていたのだけど、そんなことなかった。

どんどんと、豊かになっていく。

わたしが返せることをかんがえる。

このへんはうろ覚えだけど、JAが定めた野菜の規定みたいなものがあって、形がそろっているとか、どうとか、それを満たしていないと、JAの流通には載らなくて、ただしそれは味が悪いとも限らなくて、そういったものを腐らせてしまうのでなく、おいしいものを食べたい人に届けられたらいいなあ、とか。
育児や介護やその他の理由でフルタイムで働くことは難しいけど、働く能力はある人たちがいて、クラウドワークという働き方は、そういう人たちの能力を発揮する受け皿になる。能力が発揮されると、する側もされる側もうれしい。嬉しくない人も、いるかもしれない。

こないだ、LGBTについて話を聞く機会があって、すごくおもしろかったのだが、それらは言い換えると、セクシャル・マイノリティともいうらしく、マイノリティという言葉は、危険なにおいをはらみつつ、可能性があるんじゃないか、多様性を考える上で裏表の鍵概念なのではと思った。少数派。
よくもわるくもない。できるできないはあるけれど、それは社会がそれを浮き彫りにするようにできているから、ではないか。身体的少数派。知的水準少数派。コミュニケーションパターン少数派。発達傾向少数派。しかし口にしたとたん、余計な意味がくっついてくる。

職場の大先輩と、そんな話をしていたとき、差別はしないが配慮もしない、というようなことを言っていて、この言葉の意味をわたしはもっと考えないといけないな、と思った。あるテーマについての関心度が違う人と、それについて話そうとすること自体、わたしの関心の高さを押しつけてしまっているということの難しさについての感覚と、ちょっと似ている気がする。

あと、人権の話はよくわかっていないが、けっこう重要な気がする。ずっと前、母校で子どもの人権に関する条約の話を聞いたことがある。これもまだ全体像がつかめていない。