秋の星座(7)国と家族とわたしの命

命をもらって生きている。
薄めた命を捧げている。
それは誰かの命に宿り。
誰かの命を延ばし、誰かの命を終えるだろう。
命は部分から成っている。
命は危機に晒されて、止まることも、終わることもある。
命は重なり合って、大きな命を形成する。
命は七色に輝き、灰色に燻る。
命が生まれる。

日本がおかしなことになっている。ということは、個人的に感じていて、そこまではある程度共有できても、なにがおかしいのか、いまになってのことなのか、ではどうすればいいか、私個人はどうすればいいか、そもそも日本ってなんぞや、といったことについては、なかなか共有することや、そもそも話題にすることが難しい。ひととひととが、ばらばらになっている感覚を強く感じる。
レベルの異なる問題が、ぐやぐやに重なり、突き刺し、複雑になっている。複雑なものを複雑なまま取り扱うのは、誰しもができるわけではないから、単純なかたちに圧縮せねばならない。と私は思っている。単純なかたちにすることが、圧縮ではなく、本質だと言う人もいるだろう。
大きな動きがぶつかり合って、打ちのめしあう。個人が声を上げて、電子の網に運ばれて、いろんな反応がぶら下がり、形を変えていく。ほんとうは、世の中にはいろいろな役割があるはずなのに、意見を言いたいひと、意見を言いたくないひとが多すぎて、うまく機能していないように見える。
こんなことは、もしかして今までずっと起きてきていたんだろうか。私の知識や関心のなさが、私の主観的な世界のできごとを作り上げているのだとしたら、それはほかのひとの見る世界とは、大きく隔たっているのだろう。そして、その隔たりが、そもそもの知識や関心の違いと相まって、このばらばらな感覚を作り上げているのか。

120時間の連休が始まる。
120時間分の命を燃やして、私は何をするのか。
まずは、長めのストレッチから、からだとこころをととのえる。