Beyond the Birthday(2)サーキットのおくりもの

電子書籍が紙の書籍にとって変わるかとか、動画講義が教室授業を不要にするとか、テレビがレディオ・スターを殺したとか、人工甘味料とか、あとは、悪貨が良貨を駆逐するとか、自動改札機はきっと数え切れないほど世代交代しているんだろうとか。元々似ている要素のあるもの同士や、片方をモデルに作られたもの同士は、比較されやすく、二者択一的な議論もしばしば好んでなされる。あと、 iOSのように、外からの強制的な世代交代が仕組みになっているものもある。その便利さをわたしたちは享受しているのだが、それに乗れないときのリスクも背負っていることは、時々思い出した方がいいだろう。

だるいとかカムヰとか羊とかスクランブルとか金崎さんとか鳥公園とか、フェイスブックのタイムラインにはごろごろと知り合いの公演情報があふれている。人づきあい的なものと、いわゆる小劇場演劇の観劇モチベーションは(時には意図的に)交絡することがあって、わたしは人に関わるこの類の交絡は、人生を豊かにすると思っているのでこれまで積極的に流されてきたのだが、どうやらそういうスタイルを取り続けるための前提条件が少しずつ崩れてきているらしい。そうなると自然、それ以外の理由に依るものが残っていくのか、それで何も残らなかったとしたら、それはそういうことなんだろう。

回路をつなげ続けるということは、そう、とても、わたしが何かをするときには大事で、なぜなら深いところまでつながるのにとても時間がかかるから、少しずつ少しずつ味わいながら、深いところを垣間見ていくのだ。そこで自由に振る舞えるようになるには、さらに時間がかかる。物理的に近しくても、いつの間にか油断して回路が切れてしまっているようなこともある。対人援助における関係構築も、そのような静かな力学で捉えると、おもしろいのではないかと思っている。