私が惹かれるもの、学びを取り巻くもの

学びをデザインしよう、言い換えれば計画的に学ぼうとしている。
その上で、インプットしたことや、インプットを元に考えたことを、頭の中にとどめておくだけでなく、何らかの形でアウトプットすることで、後から思い出してつなげたり、足りないところに気付いたりできる。
そのために、ここのブログが使えるのではないかと考えた。
そうすれば、他の人も見られるようになるので、自分と似たような興味関心考えを持っている人の参考になったり、そういう人とつながることができるかもしれない。

と思っていたのだが、実際に学びの計画を立てようとすると、どうやら学びというのは、学びだけで捉えるのは難しそうだと感じた。
そもそもなんのために学びたいと思うのか。学ぶことは目的なのか手段なのか。具体的に解決したい課題が目の前にあるのか、将来に備えて学んでおきたいのか、学ぶこと自体が気持ちいいのか、、、そういったことが、ぐっちゃぐちゃになっていることに気付いた。
「学ぶ」ことと「(何かを)遂行する」こと、「(何らかの状態に)なる」こと、それらを通じてどのように「生きる」か、などといったことは繋がっている。何かを遂行する手段を(半永久的に、あるいは限定的に)手に入れるという意味では、能力を身に付けることと物理的なものを手に入れること、権利を得ることは共通している。やりたいこと、なりたいことの裏側には避けたいこと、防ぎたいことがある。遂行することのバリエーションには、ゼロからイチを作り出すこともあれば、落としどころを見つけることもある。やることとなることが編み合わさって、一定の方向性を持ちながらも完成ということがない「育てる」といううごきも生じる。
それらの広義の欲することに対して、時間やお金や気力などの資源を注ぐ順番や、量を割り振っていくのだ。そして、その割り振り方を計画的に行うことが、デザインということなのだと私は思っている(ただし、計画的というのは、決定論的=修正が利かない、ということではない)。

私は何を大切にしていて、どう優先順位をつけるか、ということを知りたかったのだが、それ以前のところが絡まっていたので、整理しようとしてみた。そもそもの目的であるこのことについては、引き続き考えよう。