読むのも書くのも筋トレみたいなもの

いろいろなところで、特にわたしが質が高いと思っている情報源の界隈で、繰り返し「書くことは筋トレだ」といった主張を見かける。
そして、書くことが筋トレならば、読むことも筋トレなんじゃないかと思う。
つまり、読むことは情報を入手して思考するだけでなくそれ自体が読む力のトレーニングになり、書くことは成果物の価値以上に読む力のトレーニングになり、そして読み書きの能力は単調的に伸びていくものではなく、使い続けていないと落ちていってしまう、ということだ。
読み書きというのは、欲求を満足させたり、コミュニケーションを取ったりする方法であると同時に、事務職を中心とした少なからずの仕事で求められる。つまり、職務遂行能力としての読み書き能力が求められる。
しかし、職務遂行能力には、特に人事管理の文脈においては、単調的に増加し、衰えることがないという暗黙の前提が置かれているように思う。
現実には、美容師が何年もハサミを握っていなければ腕が錆びつくことがありうるように、読み書きをあまりしないことで読み書き能力が低下することは十分に起こりうることだ。
職能としての読み書きの能力を、向上させる、あるいは少なくとも低下させないことを副次的な目的として、職業生活・日常生活の中に読むことと書くことを織り交ぜて習慣化することには、すごく積極的な意思が含まれている。