力動で捉える/関われないわたし

人生で大切にしたいことを考えたとき、それはいくつか浮かんでくるが、「仕事」とか「家族」とかいう領域に関することと、「学ぶ」をはじめとした、方法論に関することに行き着くような気がしている。
大切にしたいことを一言で表すことはできないが、大切にしたいことを取り巻く領域と、大切にするための方法論、その縦糸と横糸で編み上げられるコンステレーションの上に、私個人のやりたいことがもっともよく表されるのではないかと思っている。

方法論、何かを達成するための方法論を含んだものを「プルタバルタ」と呼んでいる(何かと造語をつくるのは、私の悪い癖で良い癖だ)。方法論としてのパターン・ランゲージ、組織開発やキャリア・コンサルティングなどは、幅広い領域で自分の考える足掛かりや現実に影響を及ぼす手足となってくれる、透明なツールだと思っている。
そして、方法論がどのように構成されているかを考えると、それはいくつかの「うごき」、うごきをコントロールする能力に行き着くのではないか。今は、「学ぶ」「果たす」「整える」「関わる」という基本的な4つの動きと、それらの上に「育てる」「生きる」という大きな動きが見えている。このような抽象的な力動と、自分の経験と、学んだ方法論とを、つなげて神経を張り巡らせて、有機的なシステムにしたいと思っている。

基本的なうごきの中で、私がもっとも苦手なのが「関わる」ことだ。気を抜くと、すぐに他人がいない世界で空想が広がる。突然現れた他者に私は圧倒され続ける。常識が足りなくて、配慮が足りなくて、魅力が足りなくて、か、よくわからないが、人とうまくつながれないことは多い。それは、どんなに親しい人でもそう。もちろん、つながれたと思う瞬間だってあるし、だからこそ大枠で関係は継続しているのだろう。
苦手なものは、大抵野放しになる。だけど、強い意志を持てば、そこに影響を及ぼすことはきっとできる。できるんじゃないかな。できるといいなと思う。