開いても交われない

わたしはまだ、じっくりと推敲をしてブログの記事を書く、うまいやり方を見つけられていない。自分の中に熱を帯びているものに意識を向けながら、それに対応する言葉をそれを表現しうる言葉を探していく。自分との対話なのだ。それはどっぷりとした感情だったり、あいまいな考えだったり、単に言葉あそびの延長上にあるものだったりする。わたしに注意を向ける。そして、それを、切り替える。

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オープンダイアローグのシンポジウムに参加した。オープンダイアローグとは、急性期の統合失調症の治療として、フィンランドで開発された方法だ。わたしは、なぜわたしがオープンダイアローグの本を読んだり、イベントに参加しているのかが、やんわりと強烈な違和感を伴って気になっている。それは、オープンダイアローグの中心にあるであろう、統合失調症という現象への距離感だ。それを抜きにして、本当にコミットできるのだろうか。統合失調症は単なるひとつの表れ方であって、本質はそこでないのか。あるいは、人はそれぞれ多様な関心を持っているのだから、おのおの自分の関心に引きつけて接近したり、解釈したらそれでいいのではないか。確かにそれも正しい気がする。ただ、なんとなくそれは、キャリコンマインドでない気がする。なんでそこでキャリコンが出てくるのか。よく、わからない。でも、それはわたしにとって、とても大切なことのように思える。