慶應義塾大学SFC井庭研最終発表会の感想とか

今年最初の記事になる。前回からは3か月も感覚が開いてしまった。
仕事が忙しくなって余裕がなくなってきたのをきっかけに、考えを整理する時間が取れなくなって、まとまらないまま書かないようになってしまった。

それはわたしはあまり良い状態だと思っていない。自分の考えを振り返ったり、整理したりする時間を日常の中に細かく織り込んでいくことは、自分が望む生き方を実現するために欠かせないことだと思うが、今の状態はそこからだいぶ遠ざかってしまっている。

やりたいけどできないことがあるときは、ハードルを下げたり、タスクを細かく切り分けてみると、乗り越えられることがある。だから私も、自分の考えについて振り返ったり、整理して、言葉にする(ついでにブログの形で公開する)ために、ハードルを下げてみる。どう下げるかというと、なにか整理したことを書こうとするのではなくて、なにかについて考えたことを、まとめようともせず、断片なら断片でもよく、問いまでなら問いまででもよく、一定程度考えたところまでで書いて公開する。時間制限を設けないとキリがないので、仮に30分くらいとしてみる。

なにについて書くかというと、標題のとおり、本日午前中だけ参加した、井庭研最終発表会についてとしよう。

井庭崇のConcept Walk|2017年1月28日(土)に井庭研 最終発表会を開催します!プログラム公開!

このイベントは、慶應義塾大学SFCの准教授で、創造に関することやパターン・ランゲージをテーマに活動する井庭崇さんという研究者の研究室が企画し、主に研究室のメンバー(学生)が、自身が携わったプロジェクトについて報告を行うもの。
午後から予定があり、午前中しか参加できなかったのだけど、井庭先生が今面白いと思っていることについての基調講演や、気になっているオープン・ダイアローグのパターン・ランゲージについての発表など、片道1000円&2時間かけても惜しくないことを聞けた。
本当は、内容と対応している方が感想文としては上等なのだろうけど、いかんせん頭の中がぐっちゃぐちゃにこんがらがっているので、思いつきのきっかけにはなっていはすれど、直接的にはあまり関係のない内容だったりもするが、今回はそれでよしとしよう。

○自分の関心に敏感になりたい
 大なり小なり誰でもそうなのだろうが、わたしにとっては興味が持てるかどうかということは、すごく重要なことのようなので、扱われていることの内容に自分が興味を持っているか、いるとしたらどこになのか、持っていないのか、に敏感になった方がいい気がする。そしてそれを鍛えるには、意識して口にして確かめる、フォーカシングみたいなやり方がいいんじゃないかと思っている。
 特に、同一の対象に対して興味を持っている部分と興味を持てない部分があり、それらが混然一体としているときに、より分けていく作業が大事だと思っている。わたしはオープン・ダイアローグ・パターンやその作成プロジェクトには興味を持っているが、おそらくどうやらオープン・ダイアローグ自体にはまだ興味を持てていない。となると、興味を持てていないものに関するパターン・ランゲージになぜ興味を持っているのか?ということが次のポイントになってくる。
 わたしは他人の望むことを正確に理解して、それを提供したりそれを実現する手伝いをすることに関心があるので、この意味でわたしは仕事にけっこうな割合で興味を持つことができるのだが、意図がわからなかったり、不条理丸出しだったりすると、興味が持てなくてストレスが急上昇する。逆フロー状態だ。

○わからないことを地にするか、図にするか
 ある話を聞いたり、ある本を読んだりしているときに、どこまでは自分が理解できているのか、どこは怪しくて、どこはちんぷんかんぷんなのかを、その理由も含めてわかっておくことが大事。ただ、わかっていないというものについての捉え方も乱暴に言うと2つあって、「わかっていること+ではない」という、否定形としてわからなさを取り扱う姿勢と、そのわからなさについて積極的探求していく、探求対象としてわからなさを取り扱うという姿勢があるような気がする。

○楽しみとモチベーション
 基調講演の中で、先日ブログに載ってたシラバスにも書いてあった「ファン・ランゲージ」という、楽しみ方を言語化する方法論の話があって、もっと中身を聞きたいと思ったのだが、わたしは楽しいかどうかというより、単発にしろ継続的にしろ行動を動機づけるモチベーションを生じさせ、あるいは途切れさせるものについての方が興味があって、自分の場合は「楽しむ」というのはその一要素として位置づけると整理できる。心理学で行動変容に関するトランスセオレティカル・モデルを学んだときや、今まさに「Fearless Change」を読んで組織や人を動かすことを学んでいること、動機づけに裏打ちされた行動が生み出す成果について、見通しが持てたら面白いな。

○わたしは英語が苦手
 英語なんて、義務教育から学んでいて、習い事もしていて、大学までやって、院試でも使ったのだが、できてもよさそうなのだが、やっぱりわたしは英語が苦手で、英語で話しているのを聞いたり、英語で書かれているのを読んでいるとみるみるげっそりしてしまう。だから、グローバルと名の付くものからは避けるようにするのが生存率を上げる方法かなと思っていて、それによって失うものの大きさにもげっそりしている(3月のAsianPLoPなんて、きっと英語まみれなんだろうな、ううう)。アレルギーさえ抑えてしまえば、できはしなくても今ほど足かせにはならないだろうか、ショック療法を考えてみてもいいかもしれない。