パソコンのモニターが直った記念

なかなかブログを書けなくなって久しい。
パソコンの前に座ってある程度ぼうっとする時間が取りづらくなったからだと思っている。

それで特になにか困るわけではないし、
ツイッターには前よりも書き込むようになってきている。
ツイッターはブログよりも人から反応がもらいやすい気がする。

今回は、今回も、とりとめもなく、思ったことをそのままに書くことにする。
ひとつのエントリにはひとつの内容を書く、というのは、やれるようになりたいことのひとつだけど、まだできていない。
でも、やりたいやりたいと言うだけで、それに向けて何も進めていないのは、進んでいないのはともかかく、自分としては、なんか違うなと思っているので、それはまた手をつけることにして、

1週間くらい前、突然パソコンのモニターが壊れた。
電源ボタンが点滅して、モニターには何も映らなくなった。
家のパソコンで仕事をしていたわたしは、ちょっと困った。
それが、今朝見てみたら、いつの間にか直っていた。
わけがわからないまま壊れ、わけがわからないまま直る。
そういうものに振り回されて、わけもわからず、生きていくのだわたしは、ということを痛感した。
それでも直ったことは嬉しくて、朝の時間を使ってブログでも書こうと思った。

このパソコンはいつ買ったか覚えていないけど、たしかウィンドウズ7が出たすぐ後に買ったもので、ウィキペディアで見たらウィンドウズ7は2009年リリースだそうなので、もう8年使っているのか、っていうか、わたし学生の頃からこれ使っているのか?え、まじか。

まあ、パソコンの話はそれくらいにして。

人生の中で、好きなものを愛でるということはとても大事だと思っている。
言い換えれば、気持ちを行為にすること、気持ちと行為のバランスを取ることは大事だと思っている。
たとえば、好きな音楽を味わったり、よいと思ったものについて語ったりすること。
歌手の小沢健二がずっと好きで、先日買ったニューシングル「フクロウの声が聞こえる」はもう脳みそがビチャビチャのおひたしになるくらいループ再生しているのだが、たとえばその小沢健二の曲だとか、歌詞だとかについて語ってみる。
客観的な意味の知識の深さで言ったら、すごい人はたくさんいて、わたしなんか全然ペーペーでかないやしない。恋しくてビートニックバージョンて、視聴機版てなんだ。
そういうところを目指すのではなく、自分の心と接続することが大事。
同じ小沢健二好きでも、響いたところはそれぞれ違っていて、引っかかるところもそれぞれで、わたしというフィルターがどのように反応しているのかを、観察者のように意識を向け、言語化しようとしてみる。
そんなのは誰が聞きたいかわからないので、ブログに書いてみて、あるいはそんなことが話せそうな幸せな時間が訪れたときに口にしてみようと思う。

好きなものについて語る。
そんなわけで、次は、夜学バーのことを書こうと思う。