春空虹

なにが正しいかなんてのは、ヨウヨウなぼくにはわかりゃしないけど、

積み重ねてきた経験のひとつを取りあげたとき、それがプリズムのように、
当初とは違った意味を伴って立ち現れるとき、そしてそのような体感が
めくるめく次々と、あるいはヨウショヨウショで起きるとき。
それはとっても幸せなんじゃないかって思うわけだ。
意味のとらえ直しが連鎖する。崩れた塔の部品が地面に落ちるより早く
また別の形をつくる、
僕らはどこに進んでいるのか、いくのか、もちろんわかりゃしない、
だけどそんなに不安はない、好奇心が路を照らす

週に2日くらい、ここに言葉を連ねたいと思っている。
3日、4日くらいの、すこし揺らぎがあるくらいのリズムがいい、
書きたいことは、きっとあとからついてくるだろう。
わたしのことばは相変わらず、内を向いているけれど、
目玉の裏側は、外の世界を見開いている。

とあるお祭りに参加する申込みを、夫婦そろってハラハラしながら迎えただけ。
日ごろの行いは別によくもないけど、なにかがよかったのでいい結果になった。
家にかえって、お湯が沸いていて、のみほして、とてもよいきもちになる。
明日のことが、ちょっとだけ楽しみになる。