フラフラしながら書いているやつ

自分は罹患を逃れたと思ったら、単に潜伏期間があっただけで、昨日は39度まで熱が出て、クラクラしながらイナビルを吸引する。
身近な人と同じ体験をするってのはなんだかおもしろい。
隣で見ているのと、自分がやるのとでは、やっぱりちょっと見え方が違くて、そのちょっとした違いが3Dメガネのように体験を立体的に浮かび上がらす。
自分ひとりの視点で見えるものは、どこまで行っても平面的でしかなくて、そこに想像力や他者の存在が加わることが大事なのだな。
今さらなことをあらためて。

ここ2年くらいかぶれている、パターン・ランゲージという知を言語化する方法論がある。その学会が世界中で行われているのだが、3月に東京の早稲田で開催される(AsianPLop)というので、年明けからウンウンとやっていた作業がようやくひと段落したところ。
自分が考えていることを、不特定多数を対象とした書き言葉にすることはすごく難しくて、一応できあがったものも大変はずかしいできばえ。このブログやツイッタの作文は、結局文字にはなっていても、本当の意味で書き言葉にはなってなくて、話し言葉を文字にしたにすぎないのだということがよくわかった。
それでも単なる一般参加だった去年よりは、ゆっくりとだが着実にステップアップできたと思っている。この、できたことを評価することと、できてないことに向き合うこと、の両方をうまく同居させることができると、次へ進む推進力になるのだろう。思えば、成功体験と失敗体験を一度に味わえるって、お得じゃないか。