春の雨はなみだに似ている
あふれでたものが液体になって流れている。
わたしはすっかり体力が尽きたので家に帰ることにしたのだけど、全然しごとをしないように見えるあのひとも、もしかしたらずっと疲れているからか、疲れないようにしているから、しごとをしないのかもしれない。
いろいろな声が飛び交って、インインするのだけど、それはそんなにたいしたことじゃない。たのしいことはどっさりと。長く生きないかもしれないと思って生きることを。
前提条件を置かずに発せられる言説について、自分の口から出る場合も、見聞きする場合も慎重に取り扱うことにしたいと思っている。という、この言説の前提条件は何だろうと思っている。無前提の誘惑をあえて誘惑と呼んで、それに抗いたいと思っている。
— 遠藤さと (@pluterbulter) 2018年3月7日
何かを描写するときに、価値判断とそれ以外をごっちゃにしないように気をつけたいと思っている。価値判断以外でも、切り口であり方見え方は変わりうるだろうけど、価値判断については特に、観測地点による結果の分散の大きさと、分散の大きさの意識しづらさという性質があると思っている。
— 遠藤さと (@pluterbulter) 2018年3月7日
自分の意識に何が浮かんでいるか。そのうち何を強く信じているか。その信念はなにに支えられているのか。私の意識や信念のコレクションはどんな働きをするか。それらはどの程度一般的で、どんな人と共有されやすいか、誰と共有できるか。私はそれらに対しどんな態度を取るか。
— 遠藤さと (@pluterbulter) 2018年3月7日