化粧しんどい人はどうにかノー化粧でも許される地位を勝ち取れないものか……。僕も以前の職場(学校)でなんとかノーネクタイの地位を得たく、クールビズの流れからそのままネクタイをしないキャラで生き抜こうと決意していたが「◯日まではノーネクタイでオッケーです」と公式に通達が来た。つまり→
— ジャッキーさん(夜学バ ー) (@tkom_Jacky) 2019年2月25日
エンジニア界隈とか、ノー化粧でも許される職場はあると聞くけど、許されない職場で能力も人格も認められてる人が化粧をノーすると何が失われるのか。身だしなみの問題とすると、無精髭や寝癖やシャツはみ出てるのと同類?私は基本的に人の顔をちゃんと見ないので、化粧の有無が判別できない。 https://t.co/WEa6wSlNS5
— 遠藤さと (@pluterbulter) 2019年2月25日
多くの人が、多くの人が、やろうと思えばやれると思っていることに、やるといいというよりやらねばならぬと規範をこめて、当たり前にして、例外的に例外を認めて、例外には当てはまらないけどそれに精神的コストがかかる人たちがきゅうくつになる。この社会はしばしばそういう粒の揃えかたをする。
— 遠藤さと (@pluterbulter) 2019年2月25日
自分を例外の一類型に追加することができる場合もあり、それで楽になる場合もあり、その副作用をこうむることもある。社会を変えようすると絶望的なきもちがするが、それがうまく行った例もある。しかし自分の思い通りに社会が変わることがいいことなのか。反転したときのことを考えるとうっとなる。
— 遠藤さと (@pluterbulter) 2019年2月25日
個人的なアプローチは、化粧部族のコスプレや最低限の関心を備えつつ、自分のその苦手さを深掘りして言語化していく。他の現象を説明したり、意外な対処法を発明していく。そういう見えるものが増えてくると、空気に頼らない共感的理解が他者に発動しだす。自分の見せ方もうまくなっていく。
— 遠藤さと (@pluterbulter) 2019年2月25日
感覚過敏によるのか、呼吸が苦しくなるのか、不器用だからなのか、自分を偽ってるように思えるのか、価値を見出せないことに手間をかけるのが苦痛なのか、今の自分にあったやり方が見つからないのか、化粧をする人に嫌なイメージがあるのか、等々。人に言わずとも自分で知っておくとなにかと便利。
— 遠藤さと (@pluterbulter) 2019年2月25日