(09)抽象と具体
抽象的か、具体的か、ということは、コミュニケーションの文脈で、とても重要な概念だと思っている。
特に、面白くて悩ましいのは、ある言葉や芸術作品に対し、「抽象的」という言葉が使われるとき、
一見、表現物の属性について言っているようで、
実際には、ある表現を受け取った者の「よくわからない」という感覚を言っている場合も、少なくないように思われることだ。
ある人(発し手)がなんらかの表現をして、
別のある人(受け手)がそれを受け取り、
多くの場合は、意味の理解や感情など、なんらかの反応が起きる。
ところが、特に反応が起きなかったり、もやもやと漠然とした感覚のみが起きたり、
「あれのことなのか、それとも別のあれのことなのか」と、複数の受け取り方が頭を巡ったりした場合、
それらの反応は、「よくわからない」という言葉でしばしば表現される。
だけど、「よくわからない」という反応を外に出すことをよしとしない人や、よしとしない場面があるため、
別の言葉に言い換えようとして、「この表現は抽象的だ」と言ったり、「もっと具体的にした方がいい」というアドバイスを言ったりする。
もちろん、これとは違う意味で、たとえば本来的な意味で「抽象的だ」と言う人もいる。
抽象的だと受け手から言われるような表現について、
発し手の方はどう捉えているのだろうか。
本当は具体的にしたいけれど、よい表現が見つからず、やむなく抽象的にしたのだろうか。
それとも、なんらかの意図があって、あえて抽象的な表現を目指し、それを実現したのだろうか。
あるいは、発し手としては抽象的だとは思ってなくて、むしろ具体的だと思っているのだろうか。
抽象的/具体的という言葉は、形容詞だ。
大きい/小さいとか、きれい/きたないといったものと同じ、
ものごとが持っているある属性を浮かび上がらせるとともに、
その程度についても言及しうる言葉だ。
そして、その言葉が使われるときには、
個人の主観的体験からものごとの客観的属性まで、
単なる現状認識から価値判断、さらには改善の示唆にまで使われる。
文脈によって、個人によって、使われ方はけっこう異なるため、
この言葉でコミュニケーションを取るにはけっこう難易度が高い。
特に、互いのことを理解していない人同士では、ズレが起きやすい。
もし、ズレの少ないコミュニケーションを取りたいと思っている人がこの言葉を使うなら、
ズレが起きやすい言葉だということを胸に置いておくことや、
ズレが起きてないかをチェックし、ズレを解消するための工夫を行うことが重要になる。
私は、この言葉をうまく使えるようになりたい。