(23)絶縁
昔、仲の良かった人がいる。
定期的にSNSでメッセージをやりとりしたり、夜中に長電話をしたり、どこかに2人で出かけたりした。
何度かいざこざがあって、ぎくしゃくして、今はすっかり疎遠になってしまった。
かろうじて、年賀状のやりとりはあるかもしれない人。
その人のことを思い出す。
彼女にあれだけ辛辣なことを言わせるだけのことをわたしはしたのだろうか。
昔、共通の知人きっかけで知り合った人がいる。
その人が立ち上げた団体が、けっこう近くで活動していて、おもしろそうだったので、とある募集にエントリーしてみた。
やりとりの中で、当選は堅いように期待するものがあったのだけど、そのあと事務的なお断りのメールがきて、苦情じみたメッセージを送ってしまった。
その後、同じ団体の人から連絡があって、忙しいさなかにようやっと時間を作ったのに、思わせぶりなことを言われたままなしのつぶてで、ひどいと思ったまま年月がすぎていった。
彼が、彼女がわたしにそういうことをするだけのことを、わたしはしたのだろうか。
昔、一緒に芝居をやった人がいる。
脚本を頼まれたのだけど、人員体制に不安があって、本当に公演が打てるのかいまいち信頼できず、そして書けずに逃げたことがあった。
彼にはすごく非難された。彼はなんとか公演をこなしたそうだが、わたしはとても見に行けなかった。
その次か、そのまた次の公演を、ようやく客として見に行けた。意外と面白かった。
そのあと、彼が芝居をやったという話は聞いていない。
生きていると、いろいろな場面で、こいつありえんと一切連絡を絶って縁を切るようなことをしたり、逆に縁を切られて、心当たりがあったりなかったりすることもある。
わたしは2番目の人を許せないと思っているし、3番目の人には許されないと思っている。
あーもうこれ切れたなと思った相手でも、ふとしたことでまた縁が繋がることもある。
すべてがそうとはもちろん限らないのだけど、そういうこともたまにはある。
そういうものについて、わたしはどういう立場を取っていこうとするのか。
スタンスは定まっていない。だからけっこうブレる。
これを書きながら頭に思い浮かぶけれど、ちょっとどう言葉にしたらいいかわからず見送ってしまうような人もいる。
そういう傷を抱えながら、それがあらわにならないような形で、たくさんの人がいきている。