(35)ヒトがモノになるとき

↓こんな記事を書いたせいか、24時間とちょっとくらいのあいだ、ウォっと深めに沈んでいたのだけど、浮きつ沈みつしながらも、なんとか下げどまった感じ。
(34)まだ仕事はなんとかできる - LoS (Locus of Scent *2)

 

最近は、頭のすみっこでいつも、ここのブログで何を書こうか考えている。
YouTuberがネタ探しをするみたいなものに近い、アンテナ。
朝家を出るときにテーマカラーを決めて、街の中でその色のものを探す遊び(名前忘れた…)とか、どこぞの羊がやっていた目先のワークみたいな、マインドセットをミクロに変えることで、今まであったのに気づかなかったことに気づけることには、その中身の価値と別に、発見の楽しさがある。
洗濯物を溜めてしまい、初めてパンツを裏返して穿きながら、そんなことを考えている。

 

人間ドックで、胃カメラというものを初めてやってみた。
液体の麻酔で口が痺れるのは歯医者で経験したことがあったけど、ホースを切ったような輪っかを噛まされ、泣いてもえずい※ても容赦なく管を突っ込まれ、自分にできるのは舌でちょっと口の中の管の位置を変えることくらい。空気入れられようが生体つままれて血が出ようが、それどころじゃなかった。
※モノは出ていません。うぇってなりまくっただけ。

 

そんで思ったのが、人間て、自分て、今まで思ってたよりはるかに、他人にとっては「物体」なんだな、ということ。
人間を無前提に心のある人間と捉えるのは、そういうマインドセットがあるから、そうしたいと思っているからで、そうでなければ、他人というものはカキワリだったり、見世物だったり、処理対象だったり、あるいは不存在になったりする。
頭ではうっすらわかっていたことだが、強烈な実感を伴って理解した。

 

ヒトは、容易にモノになる。
それは、捉える側の心理にもよるし、それに影響を与えるという意味で、捉えられる側の要素にもよる。

どんな人と、どんな関係を作っていくか。という、関係性のデザイン。
望ましくない関係性になってしまっていると思ったときに、どうやってそれをチューニングし、あるいは抜本的に変えるか。

そんなことが、今ちょっと気になっている。