(38)生活の基本

あたらしいことをはじめて、何度かくりかえしている。
まったく同じではないけれど、前の経験が重なって、少し気づきが拡がったり、工夫を加えたり、バリエーションを感じたりする。
どきどき感のチューニング。
はじめてのときほど高くない、ちょうどいい緊張感の水準。
これをただ漫然と繰り返し続けると、たぶん気づきは薄くなり、自動化されていく。
そのあいだの気づきを土台にして、さらにあたらしい挑戦を加えると、そのちょうどいいどきどき感がつづいていく。とても学びの多い時間。

わたしの今週のトピックは、ご飯を炊くこと、肉と野菜を炒めること、インスタントみそ汁、そしておにぎりを2つ。作って食べて洗うこと。お風呂に入って寝ること。

 

仕事のやり方や、職場づくりに関する本を読み直している。
一度読んだだけでなんとなくわかったつもりになって、そのまま流れてしまったもののなんと多いことか。
章のおわりにまとめが書いてあっても、少なくとも自分の言葉でまとめ直す。腑に落ちない言葉は使わない。味のないガムを噛むように、白地図を眺めるように、知らない言葉に飛び込むことはそれはそれでしてみる。
本に書いてあることは、一般論だったり、他人の事例だったりする。それと私の間には距離がある。その距離を埋める作業が重要なのだ。
中でも、異なるソースがつながる瞬間はとてもおもしろい。仕事のやり方を標準化することの重要さについて読んでいるとき、借金玉の本が頭をよぎる。標準化されたやり方に合わせられない人もいる。そりゃそうだ、どっちもそうだよな。表と裏から光が当たり、突如として立体感が浮かび上がる。
個人的には、もうちょっと足りない。実践まではもうちょっと。手を動かすと、経験は圧倒的な量になり、整理するのが大変になる。膨大なものをなんとなく整理する機能は私に備わっていなさそうなので、バイパスを、そのプロセスを進めるための部屋を作ってやる。

 

生きるというのは、まあ、いつか終わりはくるのだけど、感覚的には終わりのない、というか、終わりを意識しない、続き続けることを意識するプロセスだ。終わりのある中のプロセスと続いていくプロセス。続いていくものを、終わらせたくなることもあるだろう。終わりのあるものを、続かせたくなることもあるだろう。そこには想いが詰まっている。