(225)ゆらゆら

バランス感覚というのが大事なのだろう。

なにかがむっちゃできるってのは、まあよいことだ。そんなとき、副作用が出るかもしれないので、副作用が致命的にならないような手を打つ。あるいは、なにかがむっちゃできないときに、できないということを知っておいて、代替手段を用意しておく。これも、苦手さが致命的にならないような手を打つということだ。なにかに没頭したそのあとは、逆に引いた視点で物事を見てみる。そのときの自分にとって空白になっているものにアンテナを立てて、異なる状態を行き来する。

朝の時間がとっても好きだ。窓から差し込む太陽の光が綺麗だし、眠ったあとの自分は元気だし。線香を焚いて、太陽光がぼやける。肌がじんわりと熱を受け取る。出勤までの数時間で、昨日やり残したことを片づけたり、優先順位をつけて家事をこまこまとこなす。自分と家を整える。

アイチューンズに新しい音楽を入れるってのが、数少ない私の文化的な営みのひとつなのだが、去年は7月にプリキュアのを入れたきり、一昨年もSo Kakkoii宇宙のほかは、子の曲と弟の曲だけだった。そういう回路を回すことが、日々にうるおいを与えてくれる。大きなミライを考えるその土台として、日常をたがやしていく。そんなわけで、気になっていたCreepy Nutsのミニアルバムを借りてみたら、なんかむっちゃトークしていた。