(226)24時を過ぎる前に更新

今年に入ってから、今月に入ってから、毎日ブログを更新するチャレンジを続けているのだが、実際には毎日書けてはいない。直近数日分の過去の日記を更新して、日付を修正して、まるで毎日書いてるかのように見せている。このブログは、そのまま公開すると、URLがその更新したときの日にち・時間・分・秒になっている。例えば1/25の記事のURLの末尾は「…2021/01/26/072341」となっているが、それは翌日1/26の朝7時23分41秒に更新したという事実を表している。あとから日付を修正すると、URLは変わらないが、名目上の日付が変わる。URLも変えることができそうだが、それはあえてしない。本当にその日のうちにブログを更新したのは、1/4の21時31分に1/4の記事を書いたのが最後で、そこから3週間以上、過去の日記を書き続けていたことになる。

だけど、日記なんてものは、同じ日であろうと過去のことを書くものではないか。それが1日前とか、数日前になったところで、似たり寄ったりではないか、とも思う。実際には、私は光陰矢の如くものごとを忘れていくたちなので、その日のことと、数日前のこととでは、覚えていることのヴォリュームが相当程度に異なる。というか、あまり思い出せない。だから、数日前の日付のブログを更新するために、エヴァ―ノートというメモアプリを引っ張り出してきて、ああこの日はこういうことをやったのだなあ、そういえばこんなことを考えていたなあと、そんなことをやりながら、数日前の日付のブログを更新している。いま、ちまたで流行りの「リフレクション」ってやつだ。

3週間ぶりに、その日の記事を更新できているので私は浮かれている。いや、浮かれているのではなく単に酔っぱらっている。久米仙を黒ホッピーで割った飲み物はとても甘くて、そしてとても酔っぱらう。いや、それよりも、朝、冷蔵庫に入れるのを忘れてしまった鍋からの雑炊が、夜に帰っておそるおそる火を入れてみたら腐っておらず食べられたことが嬉しかったのである。いや、それよりも、ちょっと前に家の中にあったコード類を分類してそれぞれ袋に放り込んでいて、アイパッドを充電できるライトニングケーブルを探してその袋を漁っていたら、うまい具合に見つかったことが嬉しかったのである。

現実の私はしょうもなくて、お金のことをケチケチしていたら愛想を尽かされてしまったし(それだけではない)、かつては友人同士と言っても過言ではないと思っていた人に去年くだらない塩対応をしてしまって謝ることもできずにそれ以来連絡が取れずにいる。職場では部下というか、職場で役職が自分より下の人の仕事っぷりにくさくさして文句を言ってしまったり、木を見て森を見ない人が残念な人認定されているのを盗み聞きして勝手にダメージを負っている。鏡を見ればしょぼくれたおっさんが嫌でも目に入る。しょーがねーしょーがねー。尾玉なみえは今なにしてんだろう。