(238)人との交点

大学院時代にカリキュラムを担当していたうちの1人の先生が、大学院OBOGを含め、大学外で継続的に学ぶ機会を開催されている。ゼミに所属していたわけでもなく、関わり自体はあまり深くなかったと言っても言い過ぎではないのだけど、なにかの縁で、その機会の案内を送っていただいている。コロナ以降、場をオンラインに移して開催されており、メールで流れてくる感想を見るに、非常に興味深い内容なのだが、開催曜日の関係で、オンラインになってからは一度も参加できていない(オフラインでも、1回参加したことがあったかなかったかくらいではある)。いつかどこかで、参加することが叶うのだろうか。そしてそれは、私にとってうれしいことなんだろうか。

誰かに好意を持つということは、少なくともモチベーションの源泉になるという意味で、自分にとって良い効果がある。それがまだ小さいうちは放っておけばいいのだが、育ってくると、いろいろと思考がゆがんだり、公平でなくなったり、思いが昂じて悪さをしたりする危険もはらんでいる。だから、好意自体のボリュームをコントロールすることや、そこから生じる事象のコントロールをするという、好意のマネジメントってものは必要となってくる。

子とすごす時間。こういうことをしたら喜ぶんじゃないかとか、こういうことを経験する機会を作ってあげたいとか、事前に企んだりその場で思ったことを、時には慎重に、時には大胆に、あるいは適当にやってみる。日常は試行錯誤の場だ。予想どおりの反応のこともあれば、思いもよらないこともある。そうでなくとも予想がつかないことばかりで、そしてそれがとても楽しい。特に、節分が今年は2月2日だったことをついこないだ知った人間が知った風な顔をして、節分の次の日は立春と言って春の始まりの日なのだよと説明したとき、「立春の日は何をするの?人が何もしなくても季節は変わるの?」という反応が、とても面白かった。確かに、行事ってものを、その日に何をするかで私たちはとらえがちだ。こういう機会がいつまで続くかわからないけど、1回1回を大切にしたい。