(241)アイコンと肉声

今の職場は終身雇用っぽい感じではあるけれど、ずっと働き続けるかということについては保留している。ただちに積極的に辞める理由は思いつかないけど、未来のある時点で状況が変わったら、仕事を続けることをバッティングするかもしれない。そこで仕事を選ばざるを得ないようにならないように、今何ができるかということを考えている。だけど、仮に転職活動を始めて、応募してきた奴は何者だろうとググれれたら、きっとすぐにこのブログとかが見つかって、けしからんと不採用になるかもしれない。逆に言えば、すべての不採用をブログのせいにすることができるのだ。あるいは過去のある時点で、私は仕事を辞めるべきだったのかもしれないと思っている。辞めないにしろ、働き方を変えるべきだったとは思っている。慣性てのはおそろしくて、生まれてから三十数年、今の職場に入ってからも十年経ち、自由意志があるようで選択肢は狭まっている。実際に狭まっているのもあるだろうが、思い込みのところもあって、厳しくはなってるけどやりようはあるものもきっとある。変化できることは大事。でも、変化すりゃなんでもいい訳じゃない。変化が手段であることを押さえて、その先にあるものを明細に見ていれば、変わることの恐れは吹き飛ばせるのではないか。

溜めてしまっていた案件について、ほうぼうにお願いをして回る。一斉送信メールで済ませてしまえば楽なのだけど、もう少し丁寧にやった方がいいと思い電話で念押しと補足をする。このやり方が前時代的な感じがしなくもない。メールに盛り込むべきものを電話で補おうとするところが、テレワークにそぐわなかったり、強制的に相手の時間に割り込むえぐさを持っていたり、作文能力の不足を隠そうとしていたり、明文化されていないものをさらに展開するために相手の手間を取らせているかもしれない。一方で、媒体によって伝わりやすいもの・伝わりにくいものというものがあって、メールに落とし込もうとするとニュアンスが変わってしまったり、相手の反応を拾いながら、ある着地点まで進んだことを確認したい場合もある。なんとかハウスはきっと、現在主流のメディアが拾い損ねているものに特化したから受けている(しかも機能や会員フローを絞り込むことで、既存メディアでの火付けにも成功している)要素もあるんじゃないか。

あとは、なんとかピックの関係で、水面下の根回しについて注目されているらしいが、人に言えないことをやっている自覚があるのなら、ばれた時点で観念したらいいと思う。ごめんて言えるのって、個人にとっても大事だけど、その前提として、個人がごめんと言える社会って大事。