(248)Locus, Focus

テレワークは、出勤するのと比べて、職場環境の基本設定がけっこう異なる。どうやってこの中で生産性を維持・向上させるか。や、生産性という言葉も大概抽象的だけど、「資本主義」よりはまだとっつきやすいので、ここから攻めることにしよう。生産性を高めるにはどうすればいいのかを考える私と、生産性に拘ること自体を疑問視する私。どちらもきっと大切なんだ。

・対人環境が異なる。物理的に同じ場所にいるわけでないので、近くで話しているのを漏れ聞こえるというのがない。軽いことを聞こうと思っても、少しハードルが高まる。Skypeでテレビ電話もできるけど、なんとなく今は文字でのコミュニケーションが基本みたいになっていて、文字だと伝わりにくいものもある。逆に、ほかの人が自分に対して行うコミュニケーションも、ハードルが高くなってるのではないかと思われる。

・情報へのアクセスが異なる。ものによっては、紙に打ち出して見たいものもあるのだけど(完全デジタル化の会社では、この欲求をどう対処しているのだろう?)、印刷はハードルが高い(自宅にはプリンターがないので、コンビニまで行く必要がある)。電子メールや共有フォルダは家でも見られるけど、紙情報や、独立した情報システムの情報など、職場でないとアクセスできない情報がある。

・モチベーションの維持に影響する要因が異なる。職場と異なり、誰が見ている訳ではないので、サボろうと思えばサボれる。人目があるから行動水準が引きあがるというのはある。一方で、集中を高めるために行える行為のバリエーションは広がる。例えば、寝そべっての軽いストレッチなどを職場でやることは気が引けるが、家では気兼ねなくできる。

 

どこかのLINEグループで、ある人が日記について書いていた。このブログについても触れてくれていた。「日記って何だ?」とか、「自己開示」について書いてあった。それを読んで、いろいろと湧いてくるものがあった。他人についてこういう誰でも見られるところで言及するのは気を遣う。大学生のときはフルネームを書いたりしていたが、さすがに今はそんなことはしない。そのLINEグループに返信をしようかとも思ったけど、いま私が書くとしたらここだよなと思い、ここに書く。

私にとって日記とは、というのはこのブログとほぼイコールなのだが、内省を行うための場所であり、時間だ。内省、リフレクションてのは、とても大事なことなんだけど、日々が大変だったり、元気がなかったりすると、なかなか内省をせずに過ごしてしまいがちだ。そんな日々の中で、内省する時間を盛り込むことが、私にとって日記(ブログ)を書く最大の意義だと思っている。そして、私にとって内省するために、他者の視点を意識するということはとっても大事な要素だと思っている。誰が見てるかわからない、誰かが見てるかもしれないと思いながら書くことが、内省を深めるのだと思っている。だから、極端な話、evernoteだって誰かがハッキングしていると思えたら、同じなのかもしれない。そういう意味で、私のブログはひたすら独り言、内言を書き連ねている。人に向かって伝える言葉、すなわち外言になっていない。言っちゃいけないことを書かないようには一応しているつもりだが、それは自己保身でしかなくて、読み手にとって価値のあるものを提供しようという発想は、そこには微塵もない。それは、私のコミュニケーションスタイルに似ている。それは、自己中心的とか、わがままとか、社会性の欠如とか呼ばれて、欠点になることが多い。

私の中で、自分とつながるということと、他人のニーズに応じて動くということは、それぞれとても気を付けないとできないことで、それゆえに両立することが難しい。でも、それらがうまく混ざる瞬間がときどきあって、それはすごく面白くなる。でも混ざってると思っているのは自分だけで、相手からすると全然ニーズに添えてないかもしれない。