(256)コンタクトポイント

近くに空席があるだけで、だいぶ印象が変わる。自分がいないときも、同じようなことがあるんだろうか。それはさておき、定期的に専門家の先生に時間を作ってもらって、個別の課題を子が取り組む。「個別」と呼ぶのは、ほかに「グループ」があるからだろう。毎日顔を合わせていると気がつきにくい変化も、月1回で、専門家の目から見ると気づけることがあるのだろう。異なった立場の大人が沢山関わって、その大人同士がその子の育ちのためによいコミュニケーションを取るという、簡単なようで意外と難しいことができていれば、そう悪いことにはならないんじゃないかと思っている。

夜は読書会の一環で、自己紹介をする。改めて考えると、何を話そうかどこまで話そうかと思い悩む。結局ものすごいぐだぐだになってしまった。メモリパンクして、人の話が全然頭に入らなかった。このはみでたものをどうしてくれよう。資本主義という言葉を、お金がないとよい生活ができなくて、お金を稼ぐためにいっぱい働かないといけなくて、でもいっぱい働いてもよい生活ができるほどのお金がないことの代名詞か諸悪の根源みたいな言い方をされていて、それは受け取る私の無知ゆえなのかもしれない。公的機関だってブラック企業があるのだから、働き方がひどいのは資本主義だけが原因だけじゃないと思っているし、社交性がないと生きづらいみたいなのも、同様になんというか、いかがなものかと思っていたりもするけれど、そんなこと言うと性格が悪いみたいに思われるから、どうやって言葉にしようか迷う。