夏の畳

個人には個人のパターンというものがある。そんな当たり前のようなことを、テープ起こしをしながら思いついた。僕はきっと、素敵な言葉や素敵な音が「染み込んでくる」ということがあまりない。僕が好むのは、きっともっと泥臭い方法だ。テープ起こしのように、何度も何度も同じようなことを、反復して反復して嫌になっても繰り返して、そのちょっと絶望的なループの中で、少しずつ、体の中に「擂り込まれてくる」のだ。

戯言ヲトメツバキ「パラグラフ1」

気持ちが動かないと、どうやったらいいかわからなくて、
だから今まで、どうやったら気持ちがうごくかを考えてきたのだけど、
他人と関わっていくなかでは、ときに、というかしばしば、
自分の気持ちいかんに関わらず、すぐやらねばならぬことが発生する。

今まで大切にしてきたやり方が限界を迎えたとき、
新しいやり方に飛び込んでいくことができるか。
学ぶということ。
必要は発明の母とはよくいったものだが、学びの母でもあると思う。