(409)春の出入り

あっという間に、1か月が経っていた。

引っ越した先での新しい生活環境に慣れていって、段々と周りの人と面識ができていって、かわるがわる様々な活動が動き始めている。強烈な光の合間合間に、ちらほらと見え隠れする陰も大事にしたいと思う。

職場でも半分くらいの人が入れ替わって、一緒に業務をこなす経験を積み上げながら、関係を築いていく。

職場で首を突っ込んでいる業務外の活動にも動きがあって、わくわくすると同時に、この勢いを形にするところまで進めたいなあ、ちゃんと進むかなあという不安もよぎる。

3回目のワクチンを打ったばかりなのにコロナ陽性になってしまい、宿泊療養施設で1週間を過ごす。軽症だったのはワクチンのお陰かもしれないがよくわからない。

子との関わりは比較的あまり変わらない。子が小学校にあがり、入学式に参加したり、交通機関が有料になったり、学童での出会いが新しいブームを呼び込んだりしており、子の体験は大きく変わったのだろうが、2人の時間のすごし方はそれほど変わらない。

祖母の逝去から1か月経ち、四十九日の日も雨だった。まだなんか実感がない。

そんな1か月だった。

 

ばたばたと降ってくる機会に対応するので精一杯で、リフレクションの機会があまり取れていない。この家ではリフレクションを構造的に担保しようとしているのだが、にも関わらず私はあんまりリフレクトできていない。なんていうか、少なくとも私は外界・ソーシャルに回路を向けると内界・リフレクトがおろそかになりがちで、そういう風にできていて、同時に両方できるようになりたいと切に思うのだけど、その点では外界が刺激的すぎて、そっちに物理的時間も心的体力も消費しつくされてしまっていたのだろう。

このブログを書くことで、ようやく内省の機会を持てたような気がしている。(そして、「リフレクション」という言葉は自分にとってこなれないので、あまり使うのをやめよう)

定期的に専門家のところに通っていた体のケアと心のケア(?)は、いろいろあってしばらく空いてしまっている。それらは復活させたい。とりあえずは。

先日見に行ったショウルームで、活動の類型ごとに空間を設計するという取組をしていて、それがすごい面白かった。活動や経験をデザインするために、ソフトやハードをデザインする。直接操作できないものについて、あてずっぽうでなく回路を接続していく取組。見える世界が変わりそう、でもまだ向こう側の景色は見えていない。坂の途中。