(61)アンチ・パターンとのつきあい方

人にはパターンがある。
こういうときにはこうする、という単なる傾向だったり、
こういうときにはこうするといい、というノウハウだったり。
そして、よい結果をもたらすばかりでなく、悪い結果をもたらすものもある。
本人としては、悪い結果をもたらすと思っていなくても、
結果として、環境との関係で、悪い結果を頻繁に生み出す場合もある。

誰もがある程度大目に見ながらやっているものを、目くじら立てて怒っていると、
その場所で浮いてしまったりする。
(ただし、そうだとしてもそれをすべき理由があることもあるだろう)

何かを立てると何かが立たないとき、片方を無視するのは、簡単だ。
実現は簡単でないかもしれない。衝突するかもだし、押し負けるかもだが、
理念としては、単純だ。
何かを無視するというのは、それ以上の理屈を必要とせずに行われることが多い。

難しいのは、自分が大切にしていたものが、別の大切なものを阻害している場合。
片方を捨てるのか、両方を生かそうとして両方を台無しにしてしまやしないか、
などなど、いわゆるジレンマ、葛藤、コンプレックス、あたりにあるものだ。

自分の無意識のパターンや、自分の価値観に合致しているパターンは、
それが問題を生んでいるとしても、なかなか変えにくい。
でも、それを変えるためのコツというものは、あるんじゃないかと思っている。
また手探りだけど、ゴールを見据えること、自分を俯瞰すること、
他人に感情移入すること、などが、役に立つのではないか。

(60)ととのえる(reprise)

木金あたり、朝おきたときに寒気を感じた。
仕事中、全然集中できない時間があった。
果物のジュースやビタミンCを摂取してみたけど
あまり効果は感じられなかった。

 

土日あたり、朝おきたときに喉の痛みを感じた。
口を開けて寝ていたんだろう。
痛みは日曜の中で増していったので、
マスクをして、水を含みながら過ごし、
喉の奥のほうでうがいをして、ストレッチを長めにやり、
毛布で首回りを重点的に覆い、汗を掻こうとしてみた。

 

数日間かけて徐々に悪くなっていった調子は、
週末の最後の最後で、ちょっとだけ回復に転じることができた。

 

自分をケアするということは、なかなかに難しく、
ケアする余裕がないときもあるけど、
自分の中の、自分をないがしろにしたくなる気持ちに流されてしまうこともある。

 

目標に据えること、
自分の気持ちに折り合いをつけること。
ひとつずつやっていこう。

(59)とけてゆく記憶

こないだ、式の帰りに大きな本屋が近かったので、
新刊が出てやいないかと思って見てみたら、2冊出ていた。
エンペロイダーは最後まで読んだのかどうか忘れてしまった。

 なんで今?というタイミングで再アニメ化されたのは、
彼に教えてもらって聞いていた。

過去の私にとって、とても大きな部分を占めていたものが、
少し違った角度でまた巡り合う、なんともいえない感覚。

 

私とつながっているけど、現実とは別の時間。
文庫本の小説一冊を読み終える、1日の中のまとまった時間、
のことを、愛しく思う。

(58)足あと/トランジット

アプリのアップデートもされなくなって、
すっかり見なくなった、ミクシィというSNSは、
それでも今も動いていて、時々誰かが更新している。

 

ここである意味が、ひとりひとりにきっとある。
様々な状況が変わり、心の配置も変わり、ある日いきなり、
あるいは少しずつ、トランジットは起こるかもしれない。
あるいはサービス終了のような形で、強制的に起こるかもしれない。
物理が先に来ると、心が追いつかないことがあるし、
もうとっくに心は変わっていて、はらりと皮一枚剥がれて終わるのかもしれない。

(57)あき、がき、いき、

なにもやることがないとつらい、ということは、何度か書いた。 

 

sunasand.hatenadiary.jp

 最近は、生活にかける時間はだいぶ少なくなったけれど、
それでもやることはいくらでもあるような状況だ。

すごく、いびつなんだけど、バランスはかろうじて取れているようで、
でもそれはこの瞬間に限ったもので、安定性はまるでない。

体力は落ちているし、処理能力も落ちている感じはするので、
気を付けないと、今度はすぐにパンクしてしまうだろう。

今までと同じ温度の風呂をぬるいと感じるようになった。
体は知らないうちに冷たくなっている。

秋がきている。

時間てのは、流れてくもんなんだな。生きている限り。

(56)夜中の思考は犬に喰わせろ

こないだ実家に寄ったあと、駅までの帰り道、サンダルを脱いで、久しぶりに裸足で歩いた。
大きな月が出ていた。
雨が上がったあとでしっとりとしたざらつきを足の裏で感じ、夏の終わりと秋の始まりが混じる夜の空気に溶け込んでいきながら、
心ここにあらず。
このシチュエーションを楽しめるわたしはいない。

 

仕事をしていて、自分がだいぶネガティブになっていたり、イライラしてるのだということに気づく。
よくない。
よくないね。
そこはなんとか切り替えてやれると、思っていたのだけど、なんかもう最近だだ漏れている。
やだないやだな。

数日おきに、げっそりすることが起きる。
埃が積もっていく。

 

カサンドラ症候群の本を読んで、ネガティブなコミュニケーションが双方の引き金になってしまい、悪循環のダンス、パターンを辿るということを知り、
わかっててもやってしまいがちなことをとどめるのは、難しいけど、なんかやりようあるのかな、あるような気がする。あってほしいという願望と、区別できているのか、よくわからない。やりたいという気持ちはあり、しかし気持ちひとつは心許なく、なんかしくみを構築したい。

しばらくカフェインを控えていて、腹痛から遠ざかっていたのが、またシクシクと馴染みのあるところにいるようになってきた。

 

休日に休めないというのは、よくない兆候だというのは、わかる。
最低限活動できるだけの体力気力が戻ってくるまで、横になっているのはできる。
常にローバッテリーで、低空飛行で徘徊している感じ。

 

ネットニュースで、加害者を擁護して、被害者から叩かれるという動きを見かけた。
なんか、全部まるごと良いとか悪いとかで染め上げるスキームが、つらい。
そうなりがちだけど。認知資源の貧弱な世界にまさにいまいて、そうなると、
極端な選択肢しか取れなくて、見えなくて、現実にぴたりと合わせることができないし、
そもそも現実を見ることにコストを払えない。
多くの人が、亡霊を見ながらテンプレートを撒き散らかして、現象として土煙が立っている。

 

そういうことがしたくてみんな生きてるわけじゃないと思うんだけど、
あでも怒りを軸に生きてる人もたぶんいて、それはそれで多くのものを成しているんだろうと思うことはあるけど、
わたしは怒るのがとても苦手で、もうちょっと上手く怒りの感情と付き合えるようにならんといけないと思うけれど、
やはりわたしはそうでないストロークの中で、生きている時間を増やしたいと思う。

 

ぐるぐるしてきたので、コインランドリーに行ってくることとする。

(55)特性と状態と調和

自分のペースとは関係なく、周りの人や世の中は動いている。
それは、そういうものだ。
自分のなかでも、いろいろな要素が絡まって、
自分のことが見えなくなったり、葛藤を感じたりすることがある。

 

どうやって、自分の中を調和させるか。
どうやって、自分と周りを調和させるか。

 

障害者雇用の本を読んでいて、「特性」と「状態」に注目するということが書いてあった。
これは、いろいろなことに当てはまるのだろうと思う。
一貫した傾向として、その人は、その場所は、どういう特性を持っているのだろうか。それは、どんな影響をもたらすのだろうか。
変動するバリエーションのひとつとして、その人は、その場所は、いまどんな状態にあるのだろうか。どのようなことがあってその状態になり、その状態はどんな特徴を持っているのか。
どちらかだけ見ていても、あまりうまくいかない。
一時を見て万事だと思いすぎるのもよくないし、いまこうなっていることを軽視するのもよくない。