(260)ツイタチ

この日は仕事がら重要な日なのだが、そんなに対応が発生することもなかった。ただ、珍しくアポイントがたくさんあり、出たり入ったりしていた。初めての人と会って、話して、言葉と心を使う。外向けのやりとりをする体力がからっきしなので、夕方ごろにはへろへろになっている。断片的に見た文言に素朴に反応したり、全体像が見えないとなんとも言えないとか打ち返して、うんざりされたんじゃないかと思っている。こういうプロセッスの進め方はきっと私は苦手なんだ。ミスマッチが起きている。あとは怪しい数字に振り回される。ほんとはひとつひとつしっかり詰めていきたいのだけど、そういうわけにもいかないからなあ。

月が変わり、嫌が応でも年度の終わりを意識する。月内にやらねばならないものの溢れかえる多さがちらついてげんなりする。時期が早まった内示の知らせを聞いて、しばし仕事のことを忘れて雑談に興じる。いよいよって感じがする。出会いと別れ。毎年ウォータースライダーのように、怒涛の流動が起きる。その兆候が訪れている。

(259)音楽のある部屋

1か月前に借りたCreepy Nutsのミニアルバムをようやくちゃんと聴いてみた。歌と解説が交互にトラックに入っている。歌の前に、どういう歌なのかの解説が入る。ライナーノーツのようだ。私は歌が歌だけだと、消化不良になることが多い。歌詞だけ読んでも、どういうことだろう?と思ったりして、なかなかつながる感覚を持てないことが多い。同じ歌を聞いても、歌詞を読んでも、もっとたくさん受け取れて、つながれる人はきっといるんだろう。それはほとんどの人がそうなのかもしれない。

演劇の演目について、当日パンフレットであーだこーだ書くことを粋ではないと捉える考え方がある。作品は作品だけで勝負すべきなのであると。作り手としては、それが誠実な態度なのかもしれない。パターン・ランゲージの論文を改善するためのライターズ・ワークショップでは「フライ・オン・ザ・ウォール(壁に止まったハエ)」というルールがあって、自分が書いた論文について補足説明をしてはならないことになっている。伝えたいことがあるならすべて論文の中に込めるべきであって、誤読されるのであれば、論文の内容に至らないところがあったのだと考える。それもわかる。

しかし、受け手としては、足りなかったらもう少してがかりが欲しいと思ってしまう。ヒントをちょうだい。味が薄いと思ったらしょうゆをかける。あるいは、絵画鑑賞や古典芸能などは、予備知識があることで十全に楽しめるという要素があるらしい(よく知らないが)。いずれにせよ、受け取りにくい私にとって、一曲ごとの解説はとても優しかった。

それはともかく、Creepy Nutsは声が好きだ。学生のとき、Rip SlymeKick The Can Crewが好きだったし、あまり重くないヒップホップというジャンルも好きなんだろう。ほかのアルバムも聴いてみたい。こういう心躍るものを見つけられるのはとてもいいことだ。

あっという間に過ぎ去った、激動の2月が終わる。何も予定のない中で、漠然とやってみたいことを中心に据えてはみたけれど、まんじりとして、結局ほとんど進まなかった。だけど、実際に手が動かずとも、心を向けるということには意味があると思っている。カチカチの氷の表面が溶け出すように、次につながっている手ごたえはある。ただ、世の中には時間ぎれというものがある。すべてが精神と時の部屋にあるわけではない。リソースは有限だし、元には戻らないものもある。それをかみしめながら、風呂場にカビキラーを噴射して、ラップの切り身を貼り付ける。

(258)ラン(バー)ドーター

劇場版エヴァの公開日が緊急事態宣言開けの8日に決まったり、その緊急事態宣言は1都3県以外の拡張地域が前倒し解除になったり、しているが、私は半径3メートルより外のことにアンテナを張ってる余力がない。というか、多くの人は、余力とかそういうことじゃなく、無意識でアンテナくらい張っていたりするから、余力がないと消えてしまうのが私の法則なのだなぁと改めて思う。

変則的なスケジュールの週末だけれど、ジョギングを続ける。片道で走ると、電車に乗って移動するのに追加の時間がかかってしまう。60分くらい走って、20分くらい電車に乗るので、賞味90分くらい必要になる。今朝は寝坊をしたこともあり、60分後には家に帰っていたかったので、ぐるっと回ってちょうど60分くらいのルートを考える。いつも向かっているほうと反対側に真四角のルート。手前側半分は通ったことがあるけど、奥側半分はよく知らない。余裕があれば一駅足を伸ばして、あの広そうな公園を一目見てみたいと思っていたけど、実際はまったくそんな余裕はなく、途中電車を使ってしまおうかと思ったくらいだが、なんとか予定どおりぴったりに帰ることができた。ところが祖母とのテレビ電話は通信の不具合?でつながらず。家族もわちゃわちゃとしてしまっていた。

会う曜日が日曜から土曜に変わったところで、大きくやることは変わらない。日曜休日の絵本屋さんに行こうと思ったが、その機会はなかった。不忍池まで行ったついでに営業時間が変則的になったあのお店に行ってみようと思ったけれど、それも機会をのがす。ただよく見て聞いて、応答する。いろいろ提案してみるが、最終的には本人の意思に大体ゆだねる。それが、わがままをさせてしまっていることになっていて、この子のためになってないのでは、ということが、ちょっと気になる。子どものうちから、どれだけ好き嫌いなく食べることができるようになることを目指すべきか。普段の食生活がわかっていれば、もう少し相場観もわかるような気もするが、聞けることにも限りがある。

夜は半年間続いたオンラインサロンの最終回だったが、気力が尽きかけていて半分意識不明で受講する。すごい面白そうな話だったので、ところどころしか覚えてないのが悔やまれる。学んだことは、ある将来の時点に突然花開くこともあるけれど、まあそれはそれとして、今の自分と突き合わせて、次に何が生まれるのかを、意識的にプロセスするようにしてみよう。ありがとう。さようなら。またいつか。

 

(257)遥かなこころ(reprise)

就職先を選ぶように、採用選考を受けるように、内定が出るように、入社するように、
人を好きになって、親密になって、交際したり、結婚したりする。

仕事がつらかったり、休職したり、退職届を出したり、解雇されたり、会社が倒産するように、
パートナーシップがつらくなったり、別居したり、離婚したり、されたり、死別したりする。

安定的な関係性はもはや成立しないなんてことを、どこぞのバーの店長さんが言っていた。
なにかのシフトに伴って、私の頭と心と体も、組み替えていかねばならないのだろう。
それでも、経験は残り、それをどう解釈するかは自分次第。そして、引き続く人間関係や、物理的に残るものも、あったりする。

(256)コンタクトポイント

近くに空席があるだけで、だいぶ印象が変わる。自分がいないときも、同じようなことがあるんだろうか。それはさておき、定期的に専門家の先生に時間を作ってもらって、個別の課題を子が取り組む。「個別」と呼ぶのは、ほかに「グループ」があるからだろう。毎日顔を合わせていると気がつきにくい変化も、月1回で、専門家の目から見ると気づけることがあるのだろう。異なった立場の大人が沢山関わって、その大人同士がその子の育ちのためによいコミュニケーションを取るという、簡単なようで意外と難しいことができていれば、そう悪いことにはならないんじゃないかと思っている。

夜は読書会の一環で、自己紹介をする。改めて考えると、何を話そうかどこまで話そうかと思い悩む。結局ものすごいぐだぐだになってしまった。メモリパンクして、人の話が全然頭に入らなかった。このはみでたものをどうしてくれよう。資本主義という言葉を、お金がないとよい生活ができなくて、お金を稼ぐためにいっぱい働かないといけなくて、でもいっぱい働いてもよい生活ができるほどのお金がないことの代名詞か諸悪の根源みたいな言い方をされていて、それは受け取る私の無知ゆえなのかもしれない。公的機関だってブラック企業があるのだから、働き方がひどいのは資本主義だけが原因だけじゃないと思っているし、社交性がないと生きづらいみたいなのも、同様になんというか、いかがなものかと思っていたりもするけれど、そんなこと言うと性格が悪いみたいに思われるから、どうやって言葉にしようか迷う。

(255)チームDEワーク

長いマニュアルにぶらさがっている数十もの様式エクセルを、文字色赤色、取り消し線と、ちまちま直していく。組織で仕事をするというのは、誰が何をやるかに無限の選択肢があって、常に無限の選択肢があると人は消耗してしまうから、ある程度枠を限定してやって、効率をあげていく。その枠を必要に応じて修正できるかどうかが、対応できる課題の難易度の上限を大きく左右する。

隣の人が助っ人で不在にしている間に、すこし先の話があれよあれよと進む。あっちの上司はだいぶ部下の個人的思いを拾ってあげていたように思うのだけど、こちらの上司(私)は腹落ちしていないものに援護射撃することが1ミリもできなかった。ごめん。もうちょと想定しておいたらよかったかもしれないけど、そのために時間を使う余裕は私も彼氏もなかったと思うから、しかたなかったんじゃないかとも思っている。こんなところで勝手にこっそり懺悔。いつか本人に言う。

(254)作文する

暦の日数がただでさえ2~3日少なくて、営業日も少ないのに、建国記念日に加えてもうひとつ祝日がやってきて、さらに営業日が2日少ない。実質1週間くらい短く感じるのではないか、2月。仕事の面では、マンスリー休暇を逆恨みしてしまうほど、時間が足りない。でも、休日は毎週末の8日間に2日加えて10日間あるわけで、年度替わりのトランジットに備えるためにはとてもありがたいともいえる。

朝起きて、ちょっと整えたそのあとは、迫りくる今の私の人生で最大の懸案事項について、一歩進めるための時間にする。精神的な斥力がものすごい働いてぐねりぐねるので、その冗長さを踏まえての枠を設定する必要がある。あれやこれやが気になって、最小限整えていく時間は、まったく進んでいないように見えて、少しずつ本丸への階段を登っている。迷い迷った挙句、ついに目的の町に辿りついたような気分になるが、まだ目的の家が見つからずに、うろうろとさまよう。その間にも、真っ白だった頭の中に、だんだんと地図が構築されていく。すこしずつ可能性が見えてくる。確信度が高まってくる。最後の最後で、これという風に一意には決まらず、あっちにしようかこっちにしようか、それともどっちでもないのかとぐるぐる回り始める。ここ2時間くらいの道のりを振り返って、その作業を終えることを決める。

午後は仕事に時間を使おうと思っていたのだけど、午前中のことで疲労困憊になっていて、ぼんやりと昼から夕方にかけての時間をすごす。日がくれかけてからあわてて動き出して、先日見かけたよさげなものを買いにいって帰ると意外な遭遇をする。スイッチを切り替えて、最も優先すべきものに全ての注意を注ぐ。