あたりまえアラート

夜中に突然の流血事件があって、雨の中、タクシーで隣町の病院へ行き、幸いスムーズに処置してもらえた。
赤子を育てていると、常にそういう、突然取り返しのつかないことが起きるんじゃないかという不安がこんこんと湧き続けていて、それに物理的・精神的に対抗するため、薄く長い警戒状態をまとうことになる。今は全然してないけど、車の運転をしていたときも同じような感覚があって、それは慣れてしまってさえも、じりじりと体力を削られるものだよなあと思う。
精神的に困難さを抱えたひとの中には、経緯や具体的内容は違えども、そういう不安と警戒がもう世界を捉えるときの大前提になってしまっていて、それが前提とされていない社会の中でいろいろと生きづらさを感じているのかもしれない。
もしそれをスイッチを切るようになくすことができるなら、そのような場や手続きをつくろうことはとても大事なことだと思うし、そういう方法が思いつかないのであっても、相対的に安心できる場所を確保して、広げていけるようにすることが大事なのではないかと思う。