組織学習あたり

仕事の疲れでへろへろな身で、組織学習関係の会合に参加させてもらった。財布を忘れたことに駅で気づいたり、2駅乗り過ごしたりと、ポンコツになっているのを感じながら、時間をかけて取り戻していくプロセスがそれ自体治療的に思える。仕事のときは、アウトプットをどう挽回するかに注力するあまり、自分の状態に意識を向けることがなかなか疎かになりがち。
先週に引き続き、見聞きしたこととそこから考えたことをごちゃ混ぜにすることを気にせずに書く。

○今のわたしはグローバルに関心がない
トランプ政権の話が、たとえそれが日本社会や教育問題まで引きつけられたとしても、まだ自分としてはピンと来ないことを再確認した。システム思考ができるようになると、一見遠いところにあるものを、自分の大切なものとつなげて捉えることができるのだろうが、今のわたしにはそれができない。なりたいと思っているかも正直微妙だが、そういうことができるようになることに関心を持っているとくらいは言っていいだろう。

○なんとなく困っているということ自体がフラグ
システム思考というのは、さまざまな要因が複雑に絡み合って、時には時間をかけながら、ある状態や問題を引き起こしている、維持していると想定する考え方だ。世の中には単純な因果関係で説明できるものももちろんあるだろうが、原因がよくわからない問題や、原因と思われるものに対処してもなぜか解消しない問題は、システムが働いていることを疑ってみてもいいのかもしれない。

○目的と手段
なにかの活動は、大体の場合においてなにかの目的であり、なにかの手段なのではないか。だから、目的であると同時に手段でもあるので、手段と目的を取り違えるという言葉も本当は少し修正すべきなのでは。目的性を否定する必要はなくて、ただ手段であることを忘れてしまったことに気づけばいいのでは。ある取り組みを否定するのも、手段として捉えるならば、状況や目的との兼ね合いで評価すべきで、ある人にとって表層的で役に立たない方法でも、別のある人にとっては関心を持つきっかけになる有用な方法かもしれない。問題をツールの改善で対応しようとする人がいるが、マインドセットや、ベースとなる組織のあり方がボトルネックになっていると意味がない。大事なのは、わたしたちがそれぞれどんな目的というフィルターを通してそれを見ているかという、構造構成主義的な視点なのだ。本に書いてあるのは抽象化されたモデルであり、それを仕事や個人の活動に生かしてはじめて役に立つという話。道具を集めたいという目的のこと。