(280)ロジコ・ワンダーランド

東京の緊急事態宣言最終日は雨。そういやこないだも雨降ってたな。

子と会う予定もなく、家の中で仕事をする。BGMにちきりんのVoicyを垂れ流す。なるほどなあと思うところと、そこはちょっと違うんじゃないかなと思うところがある。おそらくだが、ちょっと違うようなところは、あえてそういう書きぶりにしているところもあるんじゃないかと思う。わかりやすさと正確さというのは、時に両立が難しいことがあって、正確さを犠牲にしてでも、わかりやすさを重視した結果なのかもしれない。私もロジックという点では、不遜ながら負ける気がしないのだが、マーケット感覚というものは、ほぼ無縁の世界を生きている。その2つが突出しているから、ほかに残念なことがあっても、フリーで食うに困らないくらいは稼げるのだろう。

夜はバーチャルランチクラブの2回目。歳は同じだけど、自分とはだいぶ違うキャリアを積んでいて、でも向かっている方向が微妙に重なっているような方と話す。知らない人とつながる面白さ。知らないものに出会う面白さ。みんなが対話のお作法をわきまえてさえいれば、まったくランダムなマッチングをしても、おもしろいんじゃないかと一瞬思うが、お作法をわきまえるというのが一番難しいんだろう。

雨が上がったころ、職場に電源コードを取りに行きたくなったが、また降り出してきたので、電車に頼ることにする。湿度に包まれた、生ぬるい夜の空気。

(279)出会って、繰り返して

早起きは失敗するが、祖母とのテレビ電話は久々に成功する。

俺の家の話」の影響だと思うが、TVer宮藤官九郎脚本のTVドラマが立て続けに配信されていて、今は「ゆとりですがなにか」配信中。リアルタイムで見ていたけど、もう一度見てしまう。1週間に3話ずつ配信されるので、けっこう時間を取られる。取ってしまう。今見ると、部下との付き合いという点で思うところがあるのは、ここ4年くらいで部下との付き合いに悩むことがけっこうあったからだと思うのだけど、これが放送していた2016年当時はまだそういう経験をしていなかったので、その観点であまり響かなかったのだろう。経験が変われば響きどころが変わる。

午前中はぜんち共済という、知的障害・発達障害のある人を対象にした保険商品を扱っている会社が企画する障害者雇用オンラインセミナー。教育段階から使え、就労段階で本領を発揮するアセスメントのツールの話がもっと聞きたかった。午後は最近加入したオンライン市役所で開催するクローズドのオンラインセミナー。再犯防止の制度が最近大きく変わったという話で、全然知らない話だったが、自分の今の仕事と地続きだなと思って聞いていた。こういうところで断片的な知識に肉付けができると、知識に深みが出る。そして何より、話題提供をされていた方の想い・熱量が伝わってきたのがとてもよかった。

(278)ただ起きたことや考えたことを垂れ流す

若手のなんとかのお陰か、4月1日異動から職場の内示日が早まり、内部異動も2週間前の18日が内示日となった。15時から伝えるということになっているらしく、対象者が順々に課室長に呼ばれる。コロナで自重せいということになっているのかいないのか、後任の人たちが続々と挨拶に現れる。辞令が出た日もこれやるんだろうか。年度末までにやらにゃいかん案件がとても終わらないほど溜まっているような気がするのだけど、それでも日々は過ぎていく。

前日のショックを多少引きずりつつも、役所で必要な書類を入手し、国家資格の申請準備を着々と進めるし、その他こまごまとしたことを進めることはできる。上のレイヤーと下のレイヤーは、連動していたり独立していたりする。

マニュアルの修正案を媒体に、がっつりコメントつけて返し、そのコメント返しについて話す。全体像が見えないのはすこぶる不安だけど、だんだんとそういうものを手放す(あきらめる)段階にきている。

(277)やわらぐ脳みそ

よくもわるくも意図してしなくてを問わず、人間というものは、ある種の「もののみかた」「考え方」の枠組みを持っている。それをフランス語みたいに「スキーマ」と呼んでいる。ある人間の経験は、環境や出来事だけで決まるのでなく、スキーマを通して経験になる。その人が考えることは大いにスキーマに影響されるし、その人の発言・行動も、スキーマに基づいて行われる。スキーマが精神的な枠組みなら、身体的な枠組みにももちろん、大きく左右される。身長150cmの人は棚の上のほうに届かないが、他人に頼むスキルを磨いているかもしれない。身長190cmの人はしょっちゅうおでこをぶつけていたが、反射的に背を丸める術を身に付けたかもしれない。身体性とスキームは絡み合って、その人のパターンを作り上げている。それらは変わりうるが、一方で同一性を持っている。変化のしかたすらも、その同一性に規定される。行為でなくて人間を評価するというのは、その同一性を評価するということだ。

自分のスキーマを意識するのは、たいてい壁にぶつかったときだ。自分のスキーマで物事がうまくいっているうちは、自分の持っているスキーマを意識することは一般的にあまりない。壁にぶつかったとき、それを何に帰属するかというフェーズがある。外部に帰属した場合、スキーマを意識することはない。内部に帰属した場合、自分の身体性やスキーマ、あるいは、それらと環境との相互作用について意識を向ける。帰属のスタイルも、その人のスキーマによる。(スキーマスキーマうるせえな。)(もうちょっとで言いたいところに行くはず。)何が言いたいかというと、私は自分のスキーマと向き合うことを、基本的には好む。心理学を学んだのは、結局のところ自分のことを知りたいからで、自分のスキーマと向き合うためのフレームワークとして、心理学の知識は大いに役立ったと思っている。(スキーマという概念も、心理学の教科書から引っ張ってきたものだ。)知らなかった自分の一面を理解し、環境に適応するためにはどうそれを変容したらいいか考える。うまくいかないときは、問題解決をあきらめることもあるが、試行錯誤しているうちに、新たな問題解決手法を身につけられることもある。やばいくらいドーパミンが出るやつ。

人と関わるというのは、私にとってよく壁にぶつかるものだ。人と関わるのは本当に難しい。私は割とTPOをわきまえるのが得意でなくて、比較的多めに率直にふるまってしまう。だから、まるで意味のないような嘘をついて、その理由が到底理解不能なものだったり、とても重要なできごとが話されずにいて、その理由が些細な勘違いであるかのような説明を聞くと、自分の素朴に持っていたスキームとのギャップが激しすぎて、激しく混乱する。血中のブドウ糖が一瞬で蒸発する音が聞こえる。だがしかし、それをなかったことにせず、アグレッションを向けることもせず、それがその人のリアルなのだ、それがこの世界の現実なのだと受け止められたら、そしてそんな人や世界とうまく関わる方法を見出すことがもしできたなら、私はまたすこしだけ発達できるのではないかと思っている。

(276)レインボウ・コネクション

朝にやりたいことがたくさんある。だけど二度寝してしまった。外周は、1週間経つともう取り戻すことができないのでーと平日の朝に飛び出す。もはやそんなに早い時間ではない。紺色の制服を着た小学生は集団でわらわらと歩いているし、横断歩道には黄色い旗を持ったオジサマ方をたくさん見かける。まだ行ったことない道を適当に見繕ったら、思ったよりも時間がかかって、半分くらいしか消化できなかった。それでも50分走るという目標は達成できる。髪の毛はゴワゴワ。

法律上同性婚ができないのは憲法違反だとして国に対する訴訟を行っていたものが、本日、札幌地裁の判決が出たらしい。「原告らの請求をいずれも棄却する」としながらも、「違憲判決が出た」と取り上げられている。これは具体的にどのような判決が出たのか、ちゃんと見てみないといかんやつだなと思う。

久しぶりに職場で大人数が集まって、しばらく議論をする。夜は連日のように行っていた雑談に、少し多めに花が開く。仕事はたまっていく。クリエイティブなことをする体力は残っていないが、明日のためにドブ仕事を片づけておくことはできそう。そうやって、縦に続く私は私だけで連帯する。

 

(275)ティンダル現象

年度をまたぐときに変わるものについて思いを馳せる。噂話に現実味が帯びていく。これまでより内示が早くなったので、ばたばたの前のそわそわが長くなっているのかもしれない。日曜日の続きをやろうとして、郵便局で値段の高い切手みたいなものを買う。今週はがんばろうと今さらながらに思う。こないだおおざっぱな認識合わせだけした来年度の最重要事項になりそうなものを、具体的にどんな形に着地させようか考える。考える。考える。時間がいくらあっても足りない。ひとつひとつをちゃんと見ようとしていたけれど、これはムリだなーと思い始める。

(274)タイミング、文字、スタンプ

前日に引き続き、手探りでポシュポシュやってみる。SNSの上では一応一旦落ち着いたように見える。まだ中身には入っていない。こういうものにカロリーがごっそりもっていかれる。だから、そういうのは朝にやるに限る。なにげないことにがっつり消耗する私は朝から晩にかけてわかりやすいように疲れる。夜と朝の私は全然違う状態だし、朝と夜の私は全然違う状態だ。久しぶりに人前で話す機会があったが、聞き手のことをほとんど見られずに終わった。時間も少なかったし、なんてのは言い訳にすぎない。昨日がなんとかデーだったし、4週間前の昨日はなんとかデーだったので、わたわたと隣駅まで出向き、ちょうどいいお菓子を探す。キラキラした尖ったものが落ちていたので拾って持ち主に返す。よかった。