(18)アイパッドミニは例外
Apple社製のパソコンは買わない、という、くだらないこだわりを持っている。
くだらないというのは、それらがわたしに似合わないと思っているからだ。
なんか、カッコつけてるみたいな風になっちゃうんじゃないかと思って避けている。
実際には、別にカッコつけてる風になるとも限らないだろうし、
仮にカッコつけてる風になったとしても、便利なら使えばいいだろうとも考える。
わたしの中に非合理的な信念があって、それが非合理的だとわかってはいながらも、
わたしはその信念に従って行動を決定している。
一方で、わたしはiPad miniをこよなく好んでいて、かなり依存している。
なんでiPhoneはダメでiPad miniはいいのかというと、
あの大きさがちょっとダサいと思うからだ。
iPad miniがダサいというのは、あまり同意されない主張だと思うし、
他人のiPad miniをそう評することは決してないのだが、
それでも自分の中ではこれまた確たる信念として存在している。
ここまでくると相当非合理的だ。
感情に後づけで理屈を当てはめていると言われても、否定できない。
法則というものには、さまざまな射程がある。
古今東西普遍的に通用する法則も確かにあるが、
ある範囲を超えると怪しくなったり、時が経つと正しさが変わるものもある。
後者のものを、間違っていると棄却するのはもったいなくて、
ちゃんと正しい範囲で運用してあげればちゃんと価値を発揮する。
けっこうな不幸が、射程の読み違いから生じているんじゃないかと思う。
言説というものは、一旦放たれると、本来想定していた射程を軽く飛び越えて、
いわゆる「言葉がひとり歩きする」状態になりやすい。
いかに鎖をつなぐか、クリエイティブコモンズの表記みたいなものが、
ないものかしらとふと思った。