(33)文化に触れる

自分は、文化とか、教養とか、常識といったものには縁遠いと思っている。
それらをWikipediaで引いてみると、こんなことが書いてある。
文化:ハイカルチャーのように洗練されたもの、象徴的な思考や学習による信念やふるまいのパターン、ある社会組織に共有されている価値観。
教養:一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および、物事に対する理解力や創造力に結びついている状態を指す。
常識:社会を構成する者が有していて当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと。

 

こういうものって、個人の好きとか嫌いとか、個別具体的な自分の状況とはあまり関係なく要請されるものなのだと思うが、そういうところにうとい私は、これまで無頓着に生きてきてしまった。
厳密には、それらの一部は認識して、必要性を感じて、一定程度身につけることには成功しているが、他の人と比べるとおそろしくその水準は低い。
なので、このあたりのハイコンテキストなやりとりが開始されると、溺れるように訳がわからなくなる。
自分の特性がもたらすものは、周囲の環境との関係で大きくことなる。ある環境では強みとして生かせるものが、別の環境では致命的となったりする。

 

そっち方面の話は、これまでもいくらでも書いてきたし、これからもいくらでも書きたいのだが、今日はそこに焦点を当てるのではなくて、私の数少ない文化的な営みに、図書館でCDを借りるということがある、ということを書きたい。前に住んでいた家は最寄りの図書館が充実していて、毎週覗いては何かしら借りるということをしていた。CDも、特に目当てがなくっても新規入荷や返却されたものの棚を覗き、何かしら借りるということをしていた。

今日、すごくひさしぶりに、図書館でCDを借りた。記録を見てみたら、前にCDを借りたのが去年の11月。そのときは子どもが好きそうなものを借りたから、自分のためにCDを借りたのは去年の4月にまで遡る。ラインナップは、「逃げ恥サントラ」「モテキサントラ」「相対性理論」「宇多田ヒカルコンピレーション」「岡崎体育」の5本。そういえば歌えるようになりたい曲も踊れるようになりたい曲もあった。
困ったときに頼れるところをいくつも見つけておくことが大事なように、ささやかでもいいから自分の楽しいと思えることをいくつも見つけておくことが、思った以上に大事なんじゃないかと思った。直接問題解決につながるわけではないけど、気持ちを休めたり、元気をもらえるということはありとあらゆる困難への対処に通ずる。