(287)ボレロが好きだった

天気も子の体調も若干怪しかったがなんとか持ち直して芸術劇場の東京フィル。ボレロが流れてきて、子に「この曲はパパの好きな曲なんだ」なんて言葉が出てきてはじめて、自分はボレロという曲を好きだったのかと気付く。我ながら半信半疑だが、そんなに嘘をついている感じもない、うん。すごく好き!ではないけれど、好きかと聞かれたらそうだろう。綺麗になってしまった西口公園で、丸いところからカラフルな噴水が噴出してきて、子どもは傘を差して喜んで突っ込んでびしょ濡れになって戻ってくる。春が来てるってことは、夏が始まりかけているということ。新しい季節は何を連れてくるのだろうか。

インクルーシブ研究会の前から購入していたサブスクリプションで、全然見れてなかったリディラバジャーナルを、自分の中に落とし込もうとサイトマップみたいなものを作ってみている。私は馴染みのない情報がぱっと入ってきても、まったく吸着せずにさらっと落としてしまう。相当気合を入れてゴールキーパーみたいなときは別にして、無意識の領域が本当にポンコツである。だからこうやって意識の世界で、石臼ですりつぶすみたいな感じで右から左から上から下から舐め回すように情報をいじくる。そうやってやっと意味のある言葉になっていく。ピントが合うまでにだいぶ時間がかかるのだ。

(286)ランバークリッパー

祖母とのテレビ電話、自分がポケットWi-Fi乗り換えて使わなくなったものを使っていたのだが、どうにも接続が悪いと思っていたら、内蔵のやつを新しく買ったらしい。こっちでも取って替わられる。でも、たたき台としては十分役割を果たしてくれたと思っている。こちらがチャットで発信するやり方が、だんだん板についてくる。コミュニケーションってのはつくづく関係性だ。横置きのノートPCを縦置きのタブレットで映しているので、ちょうどよいフレーミングがまだ見つかっていない。次会うときに、桜並木の写真を撮って見せる約束をした。

午前中の読書会のために徹夜で英文を読んでいたので、とても朝走れる体調ではなく、つっても1週間サボってしまったので、これはいかんと午後になってからジャージを着込んで家を出る。ついでに忘れものを取りに行って、Zoom会議までして、ついでについでに書類を少し片づける。ジョギングのつもりだったので、財布を持たずに出かけたのを何度も忘れて冷や汗を掻き、パスモで精算できることに胸をなでおろす。これまで全く気にしていなかった、現金以外の決済方法の有無で店を見るという視点が突如湧いてくる。これはきっと、トイレがバリアフリーだったりとか、子ども用のメニューがあるかとか、気にしない人には気にならないことで、今日までは私も向こう側の人間だったのが、ふとした拍子に橋を渡ってこっちに来た。今回はすぐにまた向こう側に戻るんだろうけど、一度でも足を踏み入れた経験というものは大きい。

(285)遠くに旅立つ人に向け

一緒に入社して、はじめのうちは頻繁に飲み会をして、しばらくしてからも時々勉強会をしたり、何かあったら一斉メールをしていたような間柄、要は同期の人が、退職したり遠くに行ったりすることになった。久しぶりに顔を合わせて集まって、みんなで寄せ書きを書いて渡す。本人から話を聞く。集合写真を撮る。仕事以外の生活で大切にしたいことがあって、仕事の何かを諦める必要があった的な印象を受けたのだけど、仮に残った我々に気を使ってくれていたのだとしたら、今の職場で嫌なことがあったり、新しい仕事がとてもやりたいのかもしれない。中の働き方を改革するとか聞こえのいいことを言っている一方で、こんなふうにぽろぽろと若手は辞めていっている。別に離職をゼロにするのが目的ではないと思うのだけど、対策と言っているものは本当に対策になっているのだろうかと、誰かそれを気にしている人はいるのだろうかと思ったりもする。

それとは別の理由で、一緒に働いていた人がひとりふたり、別のところに行くことになる。お金やモノに気持ちを載せるのも大事だけど、やはり言葉で何かを伝えるのが一番なのではないかと思う。残り時間は少ないけど、間に合うかな。

(284)発声練習だもの

こないだ作業しながらちきりんのVoicyを聞いていて、ブログサービスが記事のお題を提供するのは、何か書きたいけど何を書きたいか見つからない人が多いからで、でも何を書きたいか見つからないような状態だったらお題に飛びつくんじゃなくてインプットをせいというようなことを言っていて、半分同意して半分そうでもないんじゃないかと思っていた。今年に入ってから、このブログは1日1回更新するというお題を課していて、毎日更新はできていないのだけど、毎日分の記事を更新するようにしているので、ネタ切れみたいな感じになることはしばしばある。そんなとき、はてなが提示するお題に飛びつくことこそしないが、最近自分が気になっていることや考えていることを思い出して、少しそれについて書くようにしている。そうでないときは、その日にあったこととそのとき考えたことをだらだら書いていて、それは小学生の日記と呼ばれていたが、今の私にとっては小学校の日記が大半を占めていてもなんら価値が落ちることはない。それは読み手のことを考えていない、私のマーケット感覚の欠如によるところが大きいのだけど、そうやって特定の読み方想定するやり方は、そのうちやってみたらいいと思っている。そしてそれは、単なる負け惜しみなのかもしれない。

(283)ひさしぶりの朝の時間

夜遅く家に帰り、ちょっとうとうとしてから風呂に入ったら、もう夜明け前だった。久々の朝の時間は、家を整えることに使う。乾燥機でしんなりしている服をたたんでたたんでしまう。洗濯かごに山盛りの服を洗濯機に放り込む。吊るして吊るして乾燥機。冷蔵庫で瀕死の食材を鍋につっこんでいく。こないだ買った小さい片手鍋に、賞味期限切れの牛乳を突っ込む。豆腐をサイの目にして放り込む。冷やご飯も放り込む。業務用スーパーで買った味の濃いコンソメを放り込む。固くなったウィンナーも刻んで放り込む。なんとなくシチューっぽくなったので、6Pチーズも放り込む。へらでかき混ぜると、鍋の底から焦げ付きそうな音がする。ジューッ。溢れそうなゴミ箱の中身をゴミ袋に移し替える。玄関先の小さな屑籠はマスクがはみ出ている。風呂場のカビキラーで活躍した短冊状のキッチンペーパーとラップのみなさんもまとめて突っ込む。線香も久しぶりに上げる。謎の料理は、思いのほかうまいうまい。コンソメパワーが強いので、塩は入れなくてよかった。あるいはコンソメを半分に割ってよかった。それが、俺の朝の話。

この春に遠くに行く同期に向けてささやかなメッセージをかく。これまでその人を想ってきた時間、その人と関わってきた時間がとてもよく表れる機会で、私はなんて薄っぺらいんだろうと思う。その薄っぺらさをそのまま文字にしてみたが、相手から見たら失礼に感じるかもしれない。昼は昨日とは別件でまた郵便局に行き、くだんの国家資格の申請書を簡易書留で送る。これで私もキャリ●ンと名乗れる(名称独占なので無資格者が名乗ってはいけないというトリビア)。昨日の続きじゃないけれど、当たり前のようなことを言ったつもりなのに、すごい抵抗されて、無駄に消耗する。何か隠れたルールがあるんだろうし、本当はそこに光を当てて歩み寄るのは上司の役目なんだろうが、そこまでやれない。きっとそれをすると、1日分の気力の8割くらいを消費してしまう気がする。今日のやりとりは不毛だったが、消耗は1~2割くらいで済んだんじゃないかな、といって自分を正当化してみる。

夜遅く家に帰ると、先日注文した本が届いていた。ちょっとだけ話したことのある職場の大先輩が少しかかわっていたらしい検定制度のテキスト。サラリーマンにありがちな自己啓発っぽいが、組織開発に向いている私のもやんとした好奇心に、グリッドを当ててくれるんじゃないかと期待する。だけど今は気力尽き果てているので読めない。でもちょっとだけ読んでみたいと思ってベッドまで持っていくが、案の定ページを開く前に私は沈没する。おわり

(282)自分を使いこなす

顔と名前くらい知っている職場の同僚が、実は兼業をしていると知ったときに感じる、あの「先を越された」みたいな感覚は一体なんなのだろう。私は兼業がしたいんだったっけ?でも、そういう感覚から気づきが始まることはよくある。少女漫画で恋愛感情を意識していない相手にヤキモチのような感情を抱くのは、教科書に載っているくらいありふれたパターンだ。これをとっかかりにして、自分がやりたいことのイメージを鮮明にしていく。よくよく見ると、私がやりたいことは、兼業ではなく、でもある意味兼業と近い性質のあるなにかだったりする。そういうよりわけを丁寧にやれるのは、大事だと思う。

国際郵便を初めて送ろうと、郵便局に足を運ぶ。説明がたどたどしかったり、ホームページの記載内容と違う説明があったのでそう伝えたら「ホームページに書いてあるならそうなんでしょう」と言われてイラっとしたりする。目に見えないものはとらえにくいが、人間にはそういうときに消費するポイントがきっとある。RPGのHP・MPという概念は、よくできていると思う。自分の目に見えないポイントがどれくらいあって、何をするとどれくらい減って、どうしたら回復するのかを知っておき、突っ込んだり節約したりする。お金だってそう、気にせず使っていたらいつの間にか空っぽになっていたりする。時間だってそう、あれもこれもやろうと思っていたら結局やれずに1日が終わってしまうことがある。ちきりんのVoicyで、お金の貯め方よりも使い方のほうが興味があるという話をしていたが、使うのが難しいものって、ままある。と、パターン・ランゲージの使い方のパターンのことを思い出した。自分の取り扱い説明書は、自分が自分をうまく使い、人に自分をうまく使ってもらうための1つの方法だ。

(281)もうそこでしか考えない

子はダイナミックに生きている。ちょっと思考停止をすると、容赦なく突いてくる。映画の前売券を買うとシールがついてくるし、当日満席になってないかと心配する必要なく、見通しを持ってすごせるから、いいことづくめだと思ったんだ。ドヤ顔になっていたであろう。だけど、そもそも映画ってのが好きでないことに思い至っていなかった。プリキュアだったら飛びつくだろうという甘い考えでいたのだよ。怖い敵が出てくるし、おっきな音が出るし、暗いし。わざわざ行きたくないよねー。なるほど。ひとつ子の理解が深まったのはよいことだ。いつか、楽しんで映画を観られる経験をさせてあげたいな。感覚過敏があっても楽しめる上映はあるだろうか。明るいまま上映する機会はあるだろうか。怖い敵の出てこない作品はあるだろうか。きっとある、きっとある。

きのうさんざん雨が降ったので、もう降らないだろうと公園をハシゴする。ターザンロープのある公園。抱っこしながらは想定していなかったが楽しんでいたようだ。ちょっと高いすべりだいを横に並んで滑る。特別な遊具のある公園の片隅に設けられた小部屋でひたすら、本を読んで読んで本を読んで読んで読んで本を。日が暮れる、肌寒い。図書館に移る。建物の中で水がぶしゃーっとなる。雨が降ってきたので別れて帰る。びしゃびしゃ。腕が筋肉痛。