Wanna be a Psychologist.

しばらく、漫画以外の本を読まなくなっていたので、リハビリがてら、学生時代から好んで読んでいたライトノベルの新刊をまとめて読んでみた。

「旅する知」を途中まで。(これはラノベではなく、旅エッセイのようなもの。)
「探偵の探偵」
「非業伝」を最後まで。
続・終物語
ブギーポップチェンジリング 溶暗のデカダントブラック」

「人材の多様性」というものを、割と無根拠にいいものだと思っていたのだけど、なんか、まだ曖昧な感覚なのだが、そうでもないのだな、ということが、むくむくとふくれてきている。
それはもしかすると、目的ではなくて手段だったのかもしれない。そんなの当たり前だよって、笑われるかもしれない。

これも、水準を分けて考えなければならない話なのかもしれない。小さい領域では、等質性が確保できることと、大きい領域では、多様性が確保されていること。
どう繋がるんだろう。わからん。

きっかけは、知り合いが創作に携わった、児童虐待をテーマにしたミュージカルを観に行ったこと。

男女の性にまつわる話を聞いた。男と女という、目に見える世界でおおむね2つにきれいに分かれているものについたラベルを、目に見えない性質にも応用して、その概念を使いながら、それらが交わるときのことについて説明をしていた。わたしはその話がとても面白くて、目に見えるものと目に見えないものは必ずしも対になっていないこともあるよなとか、「子どもができる」という事象も気になるよなとか思いながら、「鈴木先生」のことをちょっと思い出した。

わたしたちの社会は、知らないうちに、ある特定の性質を持つものたちにとって都合のいいようにできていて、その少なくないものは、そうしようという積極的な意思によって形づくられてきたのだろう。男性と女性。健常者と障害者。ある壮絶な体験をしなかった人と、した人。

ブログをまた書き続けるようにしたいと思っている。前ほどの頻度でなくて構わない、というか、もう少し違った水準のものを書くトレーニングの場にしたい。フラグメントからの脱却。つながりへの推進。
何が核となるのだろうか。

アウトプットがしてみたくなったということ。