(247)1週間くらい前のボロいポーチの話

普通に仕事をする日だが、特筆すべきことがおもいつかないのは、数日経って忘れてしまったからか、そもそも何もやってないか、やったことを記憶するスイッチが入っていなかったか。一番最後の、録画ボタンを押し忘れるようなことは、たまにある。余裕がなかったり、緊張が高まると、本来オンであり続けるはずの心的録画ボタンがオフになる。すると記憶が飛んだようになる。手がかりがあれば思い出せることもあるが、そうでないと思い出せないくらいには意識の深いところに沈んでしまう。 

こういう書くことがない日は、書き損ねたストックを取り上げる日にしようと思っている。三十数年、お洒落というものとは縁がない人生を過ごしてきて、「服を着るならこんなふうに」を読みながらなにひとつ行動に移せていない。そんな私が珍しく、ちゃんとしたものを買いたいなと思っている店が、マザーハウスだ。洋服も売っているようだけど基本的には鞄を売っているお店で、でもそこが最近チョコレートを売り始めたというので、閉店間際、職場に一番近い店舗に滑り込んでみた。別の店舗で買ったバックパック、要はリュックの付属物で、小物が入れられるポーチがあって、リュックはあまり使わないのだけど、そのポーチだけは普段から持ち歩いている。次第に布の糸がほつれて、ボロボロになってしまって、チョコレートを買ったついでに、何の気なしに、「このポーチだけ交換できませんかね」といったことを店員さんに言ってみたら、「修理であれば見積もりできますよ」との回答をさらりと頂いてて、私は驚いて、どきっとしたのだった。私は暗黙のうちに、当たり前のように、新しいポーチが買えたら、このボロボロのポーチは捨てようと思っていた。だけど店員さんにとっては、ボロボロのポーチは直すものではあっても、買い替えるものではなかったのだ。なるほど、なるほど。直して使い続けられたら、それは私の価値観に合致するなあと思った。ボロくなったら買い換えたらいいやという思想に染まっていた自分を恥ずかしく思った。

(これは、徹頭徹尾、自分自身のことしか書いてないのだけど、でも、私の感じたことや価値観を表明することは、どうしたって、ボロくなったら買い換えるという価値観の持ち主に対して、攻撃的なメッセージの要素を帯びざるを得ない。正直私は他人の価値観なんて基本的には気にしていないので、同意を求める意図も攻撃する意図も全くないのだけど、でもそのへんをうまくやる表現力がないのでなんかそのままこう書いてしまう。)