(310)ホワッチュアネーム

SNSで知り合いが、結婚に伴う姓変更の手続きの大変さを嘆いていた。マイナンバーができたらそういうのが一括で処理できるようになるんだと思っていたけど、そうではないらしい。それから、慣れない姓に変更することにより心理的なストレスも感じているようだ。自分の姓名は、極めて社会的なもので、性別や人種などと異なり物理的な要素は一切ないにも関わらず、それが持つ心理的な意味は大きい。女性が男性よりも下の名前を呼び名にする傾向があることと、結婚に伴って女性が男性の姓に変更する慣習がどれだけ強く結びついているのかが気になっている。

自分が名字を変えることになったり、名前を変えることになったらどんな気分になるかを想像して見たら、基本的には気に入るかどうかが大きいのではと思った。私は自分の名前にそれなりに愛着を持っているし、それも含めてそれなりに気に入っているけれど、それ以上に気に入る名前があれば、抵抗は少ないかもしれない。自分の名字や名前が好きではない人は、いくらでもいるだろうが、単なる社会的記号でしかないにも関わらず、あるいはだからこそなのかもしれないが、今の法制度では正式な姓名を簡単に変えることはできないっぽい。あとひとつ気になったのが、自分の子と違う名字になってしまうことは、少し嫌だなと思った。同じ名字を共有することで、一体感を感じるという心理的効果は、多くの人にとって無視できないと私は思う。サイボウズの青野さんが夫婦別姓の実現に向けて活動していて、私は基本的に賛成なのだけど、子の名字について「今と変わらない」と書いていて、それは論理的にはそうかもしれないが、総合的には変わらなくないよなと思った。ただ、私の場合、現時点では子が私と同じ名字を使用しているけれど、いつそうでなくなるかはわからない。それに、いずれ大人になって結婚したら、子の名字が変わる可能性は高い。その頃には親子の関係性も変わってはいるのだろうが、名字の共有を終了するのは、象徴的な意味を持っていて、いくばくかの傷つきが生じるのではないか。これもたぶん個人差が大きい。

冒頭の知り合いは、SNSで苦労を吐き出しはするものの、それが結婚の阻害要因になるほど大きくはなかったのだろうか。事実婚という選択肢を取る人も増えていると聞くけれど、法律上の婚姻により得られるメリットが享受できなかったり、それ以上に社会的にまだ当たり前のものと思われていないので、当たり前を是とする人たちには敬遠されるのだろうか。今度会ったら、聞いてみてもいいかもしれない。私は結婚することや名字を変えることは、その当時、あまり大事なことだとは思っていなかったので、関係者が望むならばそうしましょうかというくらいだった。その時、もし事実婚にしていたり、私が名字を変えていたら、なにかが変わっていたのだろうか。と、ちょっとした平行世界のことを想う。