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はたからは些細に見えるようなことがどうしても気になって許せない。あるいは、みなが当たり前に共有している価値観や感覚を共有できない。というのもちょっと世界を平たく見過ぎていて、実際のところ集団というのは、でこぼこしている素材に対してなにかの大きなシステムが均質化を図ろうと影響を与えたものにすぎない。システムの顔ばかりが見えてしまうのは、、見えてしまうのは。

昨日の夜、デモというものを始めて間近で見た。沢山の人の大きな感情が、巨大な竜みたいにうずまいていた。あれはコミュニケーションの試みなのだろうか。それともディスコミュニケーションなのだろうか。どんな方法が阻害されていて許されていて、あの方法を取るのか。わたしはとにかく驚いた。

職場の歳が近い人と2人で飲みに行った。職場では寡黙な人と落ち着いて話すと、意外な一面が垣間見れてとても楽しい。これはきっと、大阪の予告編。