話にならない私

先日書いた読書メモの続き

ダイアローグ――対立から共生へ、議論から対話へ

ダイアローグ――対立から共生へ、議論から対話へ

この本は8章7章からなり全200ページなのだが、そのうち70ページ以上が第2章「対話とは何か」に割かれている。本書の内容の中心について書かれている。第3章から第8章までは、まだ読んでないがイントロダクションによれば、第2章で簡単に触れた概念についてさらに掘り下げていく内容になっているらしい。

実際に対話をはじめる前に、そもそも対話とは何か、ということについて考えておくといいよ、だから対話とは何かについて考えてみよう、というくだりからはじまる。
対話とは、単に意見をやりとりするのではなく、意見の前提にある、個々の人々の前提となっている想定までもを取り扱うらしい。個人が今まで見聞きして考えたことに基づいて、人は様々な前提をもっており、その違いが多様な意見を生む。自分も含め、そこにいるメンバー個々がどんな前提をもっているかということを客観的に眺める中で、「意味」(これが何を指すのかまだよくわかっていない)が共有され、いい感じになるらしい(てきとう)。
対話の際は、リーダーを設定したり、議題を設けたりしないでやる方がいいが、そういうものがあっても限定された効果はあると書いてある(かなり多分)。

私の理解が追い付いていない感がにじみ出たまとめだが、内容自体もなんというか、抽象的で捉えづらいところもある。ただ、自分の考えとはけっこう親和性がありそうだなということもあり、今この本を読めたことはラッキーだったなと感じた。一方、実用に落とすまでのへだたりは結構ありそうで、そのために第3章以降を読み進めたり、同じところを読み直したりしつつ、エドガーシャインのプロセスコンサルテーションシリーズの本を読んでみたくなった。
なんとなく感じてるのは、対話とそうでないものの違いをちゃんと理解して、使い分けることが大事だということ。あらゆるコミュニケーションで対話をやろうとすると、きっと一瞬で行き詰まる。しばしばそういうことをやりがちだ。

もしかすると、続きます。