(08)玉ねぎの皮をむく話

批判されるものと擁護されるものは何が違うんだろう。

どちらもだれかの感情や価値観を刺激している。

それが存在することが許せないものと、それが批判されることが許せないもの。

 

当事者性。

 

理屈ってのは、自分でなくても構わない。

理屈じゃないものは、私の独自性を形づくっている。

理屈への関わりかたもまた、私だ。

理屈を無視するのも、理屈に重きを置くのも、私だ。

 

その独自性ですら、実は無限の偶然の理屈からできている。

理屈じゃないと思っていたものが、理屈と偶然に因数分解されてしまう。

それは私が分解されてしまうようなものだ。

 

それでも、マトリョーシカのように、どんどん分解されていっても、私というものは存在する。

仄かに煌めくものがある。

 

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