(43)カウンセリングのつかい方

わけあって、今年度に入ったあたりから、カウンセリングを受けている。
それは、私が直面しているAという問題をどうにかしたいと思ってのことだ。

 前に書いたように私は人に相談することに苦手意識を持っていて、
それは知人か専門家かを問わない。

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前に一度、全然別の問題のときにカウンセリングを受けたのだが、
いまいちで1回きりで中断してしまった。
今回は、いろいろな事情があって、5回くらいは続いている。

Aという問題は、少しずつ悪化しているように思える。
そんな中、カウンセリングを通じて、少しずつでも問題を整理し、切り口を見つけたいと思っている。

 

Aという問題と平行して、私はBという問題を抱えていた。
正確に言うと、私の近しい人が問題を抱えており、私は助けになろうとしていた。
そのBという問題は、あるとき形を変えて、B'という、私の問題になった。

こないだカウンセリングに行ったとき、私はAという問題を話したいと思ったのだけど、カウンセラーの先生からは、B'という問題を取り扱うことを勧められた。

B'という問題は、私にとっては決して軽くないものなのだが、それは自分なりになんとかしようと思っていて、いくつかの作業を行ったり、ふと突然頭の中浮かぶものにその都度対処したりしている。
なにか目的があるものではない、強いて言うなら、へちょんとなることを避けること。そのために、やれることをする。ここで言葉を紡ぐことも、その大切なプロセスのひとつだと思っている。

 

これと別に、産業医面談のようなところでも、B'という問題があることを話したら、それについて聞かれたのだが、それはもっと露骨に苦痛だった。私にとってその体験は、とても治療的とは思えなかった。
私はそれを、専門家といえど他人に相談する形で取り扱うことを、少なくとも今の時点ではあまり気が進んでいない。文字のかたちで吐き出すことと別に、話し言葉のかたちで吐き出すことには意味があると思う。でもそれだけならば、もっと適切な相手がいると思っている(あまり自信はないが)。

だから、次に会うときは、自分がこの場でB’という問題を取り扱うことに疑問を持っていることを伝えた上で、なぜカウンセラーはB'を取り扱おうとするのか、聞いてみようと思っている。