(263)やりたいことはなんだっけ

仕事であることにリアクションができておらず、督促を受けている。根っこのところから直したいと思っていて、基本的なデータを集めないといけないと思っている。たぶん投げたほうは、そこまで大げさなものだと思っていないので、なんでそんなに時間がかかるんだろうと思っているだろう。どうせほかの作業で手一杯なのだから、今返さなくても変わらないじゃないかと思ったりもするけれど、そういう問題だけではないのだろう。システムのことも、一部の人しか知らずに話が進んでいたり、全体を整理する人がおらずに停滞しかけたりしてしまっているのが歯がゆくて、まずは知識を求めたり、認識を確かめたりしている。

この組織はうまく組織化されていないところがまだまだたくさんある。やりたいことは組織づくりなのだが、課長とか局長とかがそういうことを意識しているとはあまり思えず、人事担当の人も特段意識しているとは思えず、だから誰も意識を向けていない。もちろん、組織化されているところもあるし、それが評価されることもないので、個別の案件で不満を感じることはあっても、組織のあり方として良い悪いを考えることはあまりないのだろう。たとえば組織開発の分野では、そういう、良くも悪くも空気みたいになっていたものに、調査票やインタビューなどが投下されて、「目に見えず、ほとんど意識してなかったものを、測定して、可視化してみましょう」となるらしい。

目に見えないものを、まずは目に見えるもの、データにする。それから、それだけだと、どういう意味があるか、なぜそうなっているかがよくわからないこともあるので、データを整理して、解釈する。追加のデータが欲しくなることもあるが、ただちに取れないこともある。仮説を立てたり、検証したりして、ひとつの理解が立ち上がる。そこまで来たら、打ち手が見えてくる。打ち手の考案者と、実行者は、同じとは限らない。考案者はさまざまな関係者と調整して、その打ち手を実行することの了承を取ったり、実行を担ってもらう旨の了解を取らねばならないことがある。実際に取組が開始されると、予想してなかったようなことがまたどっさりと発見されたり、考案者がやってほしいと思っていたことを関係者がうまく実行できなかったり、実行したがらなかったりする。それもまたデータで、なんでそうなのかという解釈と、じゃあどうすればいいのかという対策につながる。私たちはきっと、そういうことをやっているんだろう?日々の作業の中で、これもまたあまり意識できなくなってしまっているかもしれないけれど。