(323)「コンサル」

夜中になぐり書きした文章は、翌朝見てみると粗が目立つ。そう思っているのは自分だけで、昼間に書いた文章だって、粗だらけなのかもしれない。推敲するということを忘れずにいつつ、いまはそのまま垂れ流すことを自分で黙認する。
コンサルタントという仕事のことを考えている。私が働いている会社の若手がぽろぽろと退職している。あまり突っ込んだ事情を書くとコンプライアンス的にまずいのかもしれないが、突っ込んだ事情なんか知らない。それぞれに理由があって、まあでもなにかしら嫌なことはあったのだろう。退職後の人生で、次の仕事をすでに決めてる人が多そうで、たまたま行き先を聞けた場合に、コンサル企業に行くのだということをしばしば聞いて、コンサルとはなんぞや?と思うようになった。
コンサルとは、相談に乗る人。経営コンサルとか、人事コンサルとか、細かくはいろいろあるけれど、おそらく仕事に関する相談をする。相談だけでなく、さまざまな解決法を提案したり、その解決法の実行にまで踏み込む場合もあるようだ。カウンセラーとか、ソーシャルワーカーとかが、個人を支援する専門家ならば、コンサルは企業を支援する。
最近立て続けにKindleを買っている漫画で「フラジャイル」という作品がある。病院の病理医が主人公で、私は病理医という仕事があることを初めて知った。臨床医と違って特定の患者さんの担当を持たず、検査で採取された細胞を観察して診断を行ったり、患者の死後に病理解剖を行い、診断や治療が適切であったかを確認したりするらしい。野木亜紀子脚本のテレビドラマ「アンナチュラル」の主人公は解剖ばかりやっていたけど、職域は近いのかもしれない。そのフラジャイルに、病院の経営に意見をするコンサルが登場する。彼なりの信念があって、病院の他のスタッフの反感を買うことをいとわず、自分の思い通りに人を動かそうとしたり、経営陣に持ちかけて現場の反対を押し切ったり、かと思えば主人公の鋭い指摘を受けて自分のやり方を見直したりする。
最近職場の部署が変わって、ある部署の窓口を担当するようになった。といっても、窓口業務は部下の人たちがやってくれる。一方で課が担当している業務には、それぞれ別の担当者がいる。担当者がいる中で、自分がやれることはなんだろうかと思ったとき、コンサル的な動き方なのではないかと漠然と考えている。コンサルというのは、外部だけれど、一時的に内部に招いて、内部のことに関わる。それよりはもっと内部な自覚はあるけれど、境界線は幾重にも巻かれていて、担当者から見れば私も外部に見えるかもしれない。実際、私が担当者の立場だったときには、窓口にいる人を外部扱いしていた。
組織開発とか、組織学習とか、学習する組織とか、もっと言えば組織論、マネジメントもそうだけど、人が何人かいるときに、その人たちでよい仕事をするにはどうすればいいか。それぞれ実際に果たす役割がある。あらかじめ役割分担が決められている部分もあるし、そのとおりに行かなかったり、属人的に役割が展開していくこともある。そのような中でのひとつの役割として、カッコ書きの「コンサル」というものを置いてみる。まだ中身はよくわからない。担当者ならばやるべきことでも、「コンサル」はやるべきでないことかもしれない。担当者に対する「コンサル」と、部下に対するマネジメントは、一定共通するところがあるみたいだ。私が社会というものが気になっているのは、組織に採用されて、集団でなにかをするということを10年間それなりにやってきたからなのかもしれない。