(305)days

 カレンダーを意識しながら、行動はできないでいる、7日間。
2日働いて、4連休があって、また月曜日。

この家のクーラーをつけることに成功する。やってみたら全然大したことはない。
快不快に気づいて、自分や環境を整えることは、とても基本的なスキルだ。

Delish Kitchenという動画つきクックパッドのようなアプリを使って、炒めものを作る。本当は面会日の弁当用だったのだけど、時間が変更になったので家で食べる。これまでと何が違うかというと、調味料を入れるところ。料理酒、みりん、顆粒だし。砂糖は省略した。砂糖を毛嫌いしているところは、いつか調整したい。

久しぶりに掃除機を引っ張ってきて、床を掃除する。髪の毛は1日100本抜けるというが、こんなところにも日々の積み重ねが形になっている。コンパクトだけど強力な掃除機を買うのが、ちょっとした夢だ。職場と並んで過ごすことの多い環境である自宅を整えることを、少しずつやっていく。

連休の半分以上は、なにもせずに終わってしまった。電気を消して布団で寝ることを、すごく久しぶりにやれた日が最近あったけど、全然定着していない。

外周を3か月以上ぶりに再開したけど、あまり早い時間には出られなくて、マスク以上の息苦しさで後悔する。肌寒いくらいの早朝に走れたら、気持ちいいんじゃないかな。
10年くらい前にしばらく関わってた人から教えてもらった、自力整体の本を引っ張り出してきて、少しずつやってみる。その人は息を呑むくらい姿勢というか、体が美しい人だった。近所のストレッチ屋に続けて行っているけど、よくなるどころか悪化している気がするので、やめ時をどうしようかと思っている。

先月のお金の支出をようやく振り返る。仕事での業務統計分析と共通するものを感じる。作業は終わったが、考察までいかない。それじゃ、あまり意味がない。

★★★

オンラインの勉強会で、社会系の本を読んでいる。正直、書いてあることに反発したくなる気持ちが強く、もどかしく思っている。ただ、このごちゃごちゃしたものの中に、自分をアップデートする鍵が含まれているような気がする。人と話すことはとても面白いのだけど、いまの私に一番必要なのは、自分に落とし込む作業なのだと思う。

脱「いい子」のソーシャルワーク――反抑圧的な実践と理論

1つ前にも書いたような、SNS上でのごちゃごちゃしたものに振り回されるのがほんといやで、かといって全くシャットダウンするのは緊急非難でしかないと思っているので、なんとか自分なりの受け止め方を見つけられる型を身に着けたい。

人権教育の話を聞いて、福祉とは違うジャンルだというところだというところから小さな衝撃を受ける。自分の中でごっちゃになっていたものが細分化されていく。なんでごっちゃにしていたのか、それらはどう違うのか。自分にないものを修めてきた人たちとうまくつながれたら、人生は爆発的におもしろくなるんだろう。

屋台大学という勉強会があって、オンラインで開催されたものに数年ぶりに参加する。知識というか、ある人間の生き様を聞く。たぶんなんていうかそのエッセンスなんだろうと思うので、垣間見るの聞く版みたいな感じ。「垣間聞く」は使われているけど厳密には誤用らしくて、でも「小耳に挟む」はニュアンス違うよなあ。「漏れ聞こえる」でもないし。とにかく、普段交わることのない人と一瞬接点ができるのって、それが強烈だと残像のように焼き付いて、その後の自分の人生にスタンドアローンでけっこうな影響を与えたりする。子どものときの体験て、けっこうそういう宝石が埋め込まれているんじゃないか。

★★★

 ま、仕事の話はいいか。